日本最南端の古墳は、開聞岳の大噴火落で埋没!?

日本最南端の古墳といわれるのが、弥次ケ湯古墳(やじがゆこふん)。鹿児島県指宿市十二町にある5世紀後半〜6世紀前半に築造されたと推測される円墳。直径17.5mとさほど大きな古墳ではありませんが、近年、開聞岳の噴火の噴出物から発見され、「日本最南端の古墳」の地位を大きく更新しています。

「古墳の空白地帯」に発見された円墳

かつては薩摩半島でも川内川以南は「古墳の空白地帯」と考えられていて、弥次ヶ湯団地の建替え事業に伴う平成10年の発掘調査で、弥次ヶ湯古墳が発見され、薩摩半島南部にも古墳が築かれていたことが判明したのです。
近年まで古墳だとわからなかったのは、薩摩半島には土壙墓(どこうぼ=地面に穴を掘って遺体を埋葬した墓)は築かれ、墳丘が築かれていないと考えれれていたこと、さらには平安時代初期の開聞岳の噴火による火山灰(「青コラ」)で覆われていたから。
弥次ケ湯古墳は、保存のために埋め戻され、弥次ヶ湯団地の中の公園なっています。

この弥次ケ湯古墳の西700mほどの場所にある敷領遺跡(しきりょういせき/指宿市十町敷領)では、令和6年冬に古墳時代中期〜後期(5世紀〜6世紀)の大規模集落跡が発見され、60基を超える竪穴建物跡、朝鮮半島製の鉄器・鋳造鉄斧(ちゅうぞうてっぷ)などが出土しています。

弥次ケ湯古墳に埋葬されたのはこの集落の有力者だったことも推測され、かなり広域な交易規模があったことも判明しています。

弥次ケ湯古墳、敷領遺跡とも平安時代の貞観16年(874年)、仁和元年(885年)の開聞岳大噴火による噴出物で覆われ、天然のタイムカプセルとなっていたのです。
薩摩半島南部は、土壙墓しか出土しなかったことから、ヤマト王権など倭国の支配下ではなく、王権に対抗する隼人(はやと)の勢力範囲とされてきましたが、そうした定説を崩す発見となっています。

日本最南端の古墳は、開聞岳の大噴火落で埋没!?
所在地 鹿児島県指宿市十二町97-1他
場所 弥次ケ湯古墳
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