山形県山形市にある山形藩の藩庁だったのが山形城。山形城の二の丸跡と三の丸跡の一部は国の史跡に指定され、本丸と二の丸跡は霞城公園として整備されています。入口の二の丸東大手門は、市制100周年記念事業の一つとして、史実に従い木造建築で忠実に復元したものです。
山形城は最上義光が近世的な城郭に拡張
南北朝時代に斯波兼頼(しばかねより)が羽州探題(うしゅうたんだい=室町幕府の役職で奥羽を統括)として山形に入り、1357(南朝:正平12、北朝:延文2)年に山形城を築城。
その後、斯波氏は最上氏を名乗り、代々の居城にしました。
最上氏第11代・最上義光(もがみよしあき=伊達政宗の伯父)が、江戸時代初めに近世的な城郭に拡大、三の丸を築いています。
さらに、城下町を整備。
山形城下においては地子銭・年貢を免除して、商業の活性化に努めました。
山形城は、本丸、二の丸、三の丸が、同心円状に配された近世の平城。
その規模は姫路城、江戸城(内郭)に匹敵するほど広大です。
本丸には御殿がありましたが天守は造られることがありませんでした。
三河出身で家康の家臣だった鳥居忠政は、大坂の陣の際に、江戸城の留守居役を務め、1622(元和8)年に伊達氏などに睨みを利かす譜代大名として陸奥・磐城平から山形22万石に移封。
現存する城郭はこの時改修されたもの。
幕末になると藩の財政は困窮し、本丸は更地で、御殿も二の丸に置かれていました。
復元される城門や山形市郷土館にも注目
明治維新で、歩兵第32連隊が誘致され、城内の櫓や御殿は破却。
本丸堀、三の丸掘などは埋め立てられました。
戦後、二の丸の内側は霞城公園として整備され、霞城公園整備計画が策定されて、一文字門に架かる大手橋、本丸一文字石垣、本丸大手門枡形内の高麗門、二ノ丸東大手門櫓(内部を公開)が復元されています。
公園内には山形県立博物館、明治11年9月に竣工した擬洋風の病院建築で、国の重要文化財に指定される山形市郷土館(旧済生館病院本館)も建っているので寄り道を。
桜は、明治39年、日露戦争凱旋を記念して歩兵第32連隊の帰還将兵がソメイヨシノを植栽したのが始まり。
現在ではソメイヨシノを中心にオオシマザクラ、エドヒガンなど1500本が花を咲かせ、『霞城観桜会』期間中には馬見ヶ崎さくらラインライトアップ(堀沿いの桜など200本をライトアップ)も実施。
桜のうち、1200本は樹齢およそ100年というソメイヨシノ。見事な巨木ですが、すでに寿命を超えています。
花の見頃は例年4月中旬〜4月下旬頃です。
霞城公園(山形城) | |
名称 | 霞城公園(山形城)/かじょうこうえん(やまがたじょう) |
所在地 | 山形県山形市霞城町3 |
関連HP | 山形市公式ホームページ |
電車・バスで | JR山形駅から徒歩15分 |
ドライブで | 山形自動車道山形蔵王ICから約5.6km |
駐車場 | 230台/無料 |
問い合わせ | 山形市公園緑地課 TEL:023-641-1212 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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