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猿橋

山梨県大月市を流れる桂川に架かる全長30.9m、幅3.3m、谷からの高さ31mの木造橋が猿橋。愛本橋(現存せず)、岩国の錦帯橋とともに、日本三奇橋に数えられています(祖谷のかずら橋、日光・神橋を加える場合も)。橋脚を使わず、両岸から張り出した4層の木で支えるという珍しい肘木桁式で、これが奇橋たるゆえんです。

日本三奇橋のひとつ、猿橋は古代に帰化人が考案!?

推古天皇の時代に、百済(くだら)の造園博士・志耆麻呂(しきまろ)が、白猿の群れが梢を用いて川を渡るのを見て、架橋したのがルーツとか。
志耆麻呂は、志羅呼(しらこ)と呼ばれた百済からの渡来人。
路子工(みちのこたくみ)で、三河の矢引橋、木襲の梯橋(木曽の棧と推定)、遠江の浜名橋、兜岩の猿橋などを架橋したと伝えられています。
この「兜岩の猿橋」が猿橋のこと。
岩殿山の続きに兜岩と呼ばれる巨岩があり、往時には「兜岩の猿橋」と呼ばれたと推測できます。

現在の橋は昭和59年に復元されたもので、国指定の名勝。

浮世絵に描かれた猿橋

広重『六十余州名所図会 甲斐 さるはし』
清親『日本名勝図会』猿橋

歌川広重の『六十余州名所図会 甲斐 さるはし』。
橋の特徴をよく現すように低い視点から描かれています。
『六十余州名所図会』は、幕末の嘉永6年(1853年)〜安政3年(1856年)にかけて制作された広重晩年の作で、五畿七道の68ヶ国と江戸からそれぞれ1枚ずつの名所絵69枚に、目録1枚を加えた全70枚からなる名所図会です。
もう1枚が、小林清親『日本名勝図会』(明治29年)に描かれた猿橋。
広重のアングルを意識していることは確実です。

猿橋
名称猿橋/さるはし
所在地山梨県大月市猿橋町猿橋
関連HP大月市公式ホームページ
電車・バスでJR猿橋駅から徒歩15分
ドライブで中央自動車道大月ICから約6km
駐車場10台/無料
問い合わせ大月市産業観光課 TEL:0554-20-1829
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

日本三奇橋とは!? その奇抜さに脱帽!

山あり谷ありの日本列島にはたくさんの橋がかかっていますが、歴史的に日本三奇橋といわれるのは、甲州(現・山梨県大月市)の猿橋、防州・岩国(山口県岩国市)の錦帯橋、越中新川郡(富山県黒部市)の愛本橋。愛本橋は現存しないため、その代りに日光の神橋

八ツ沢発電所施設第一号水路橋

山梨県大月市猿橋町、桂川に平行して延びる水路式発電所が、八ツ沢発電所施設。相模川水系・桂川の水を利用した日本初の本格的な水力発電所で、着工は明治43年、営業開始は明治45年。なかでも猿橋の東側にある第一号水路橋は、鉄筋コンクリート造単アーチ

神橋

栃木県日光市、日光山内の入口、大谷川(だいやがわ)に架けられた朱塗りの木橋が神橋(しんきょう)で、幅6m、長さ26.42m、水面からの高さは10.6m。その昔、日光開山の勝道上人(しょうどうしょうにん)が日光を訪れた時、大谷川の急流に行く手

錦帯橋

錦帯橋(きんたいきょう)は、1673(延宝元)年、3代岩国藩主・吉川広嘉(きっかわひろよし)の命により築かれた5連アーチ型の木橋。杭州の西湖にある「錦帯橋」をモデルに架けられたという。猿橋(山梨県大月市)、祖谷のかずら橋(三好市)と並び日本

祖谷のかずら橋

徳島県三好市、吉野川の支流、祖谷川(いやがわ)に架かる祖谷のかずら橋は、長さ45m、幅2mのシラクチカズラで作られた吊り橋。山梨県大月市の桂川に架かる猿橋、山口県岩国市の錦川に架かる錦帯橋に並び「日本三奇橋」のひとつ。橋を渡るために訪れる人

 

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