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日本100名城 近畿14城

江戸時代まで朝廷があった京に近く、戦国武将の活躍の舞台として歴史の表舞台に登場する機会の多い、近畿の名城。さらに江戸時代の初めには徳川幕府の西国監視の役割を果たした姫路や明石の城。近畿には魅力あふれる城が多く、天空の城として有名な竹田城など、中世の山城が多いことにも注目を!

滋賀県

京に近い湖国・近江はまさに名城の宝庫。
戦国時代の城としては織田信長の築いた山城の安土城を筆頭に、日本五大山城(戦国五大山城)に数えられる浅井家(あざいけ)の居城・小谷城(おだにじょう)、近江守護・六角氏の居城の観音寺場があります。
近世城郭としては国宝5天守のひとつがある彦根城があり、ダイナミックな歴史を体感できるエリアとなっています。

小谷城

戦国時代に湖北を領有した浅井氏3代の居城

所在地:滋賀県長浜市湖北町伊部
旧国名:近江国
築城年:大永4年(1524年)頃、浅井亮政(あざいすけまさ)が築城
内容:小谷山(おだにやま・標高495.1m)にあり、浅井(あざい)家が3代にわたって居城とした中世の山城
小谷城が難攻不落を誇ったのは、丁野山城、山本山城という西側の尾根に配置した支城の存在が大きく、毎年のように北近江に出陣した信長軍を手こずらせています
元亀3年(1572年)、小谷城の目の前に虎御前山城(とらごぜんやまじょう)を築き、山本山城を守る阿閉貞征(あつじさだゆき)を調略し、ついに天正元年(1573年)、清水谷から本城へと攻め上ってついに落城
羽柴秀吉が湖北三郡を領有しましたが、天正3年(1585年)、今浜の地(近江長浜)に新たに城を築いて廃城に
最頂部の大獄(おおずく)に浅井長政自刃の地の石碑が立っています
備考:国の史跡、日本五大山城(戦国五大山城)

小谷城

滋賀県長浜市の小谷山(おだにやま・標高495.1m)にあり、浅井(あざい)家が3代にわたって居城とした中世の山城で国の史跡が小谷城(おだにじょう)。大永4年(1524年)頃に浅井亮政(あざいすけまさ)が自然の地形を巧みに利用して築城したと推

小谷城戦国歴史資料館

「近江を制する者は天下を制す」といわれた湖国・近江(滋賀県)で、戦国時代に重要な位置にあったのが浅井(あざい)3代の居城となった小谷城。標高495.1mの小谷山は天然の要害で、山麓の城下町(伊部宿)には北陸と東海を結ぶ北国脇往還が通っていま

彦根城

彦根藩井伊家35万石の居城で天守は国宝

所在地:滋賀県彦根市金亀町3-40
旧国名:近江国
築城年:慶長8年(1603年)、徳川家康の命を受け、井伊直継が西国に向けての防衛拠点としての彦根城の築城を開始、慶長11年(1606年)に完成
内容:天守は大津城からの移築とされるほか、多くの建造物が廃城となった琵琶湖周辺の城からの移築で、諸大名による天下普請(てんかぶしん)で築かれています
優美な姿の天守は国宝、太鼓門櫓(たいこもんやぐら)や天秤櫓(てんびんやぐら)などは国の重要文化財に指定
二の丸部分に残る楽々園は、かつての二の丸御殿の一部で、その隣の玄宮園は、藩主が接待などにも使った二の丸庭園(大名庭園)
備考:国宝5天守、国の特別史跡、国の名勝、琵琶湖国定公園第1種特別地域

彦根城

彦根城(滋賀県彦根市)は、姫路城などとともに国宝5天守の一つに数えられる名城で、約20年の歳月をかけて元和8年(1622年)頃に完成をみた彦根藩井伊家35万石の居城です。琵琶湖八景「月明・彦根の古城」に数えられるほど優美な姿を見せる天守は、

彦根城・天守

彦根城の国宝に指定される天守は、牛蒡(ごぼう)積みと呼ばれる一見雑に見えるが実は強固だという石垣の上に三重の天守をのせたもの。天守完成の慶長11年(1606年)には、彦根藩はまだ18万石。石高に合わせたやや小ぶりの天守となっていますが、北西

楽々園

彦根市にある楽々園は、延宝7年(1679年)、彦根藩の二の丸御殿として造営されたもので「槻御殿」(けやきごてん)と呼ばれていました。幕末の大老で、日米修好通商条約に調印し、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼(いいなおすけ)もこの楽々園で生まれ

玄宮園

彦根城の北東の位置する大名庭園が玄宮園(げんきゅうえん)。彦根藩第4代藩主・井伊直興(いいなおおき)が廷宝7年(1679年)に完成させた、彦根城二の丸御殿に付随する二の丸庭園。唐の玄宗皇帝(8世紀)の離宮を模して造られています。藩政時代には

安土城

織田信長の「天下布武」の拠点

所在地:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
旧国名:近江国
築城年:天正7年(1579年)、織田信長が築城
内容:琵琶湖を従え、京にも近く、北国街道や東海道、中山道にもにらみが利く安土山の山上部が安土城の主郭で、本丸、二の丸、三の丸を構え、天守がそびえていました
天正10年(1582年)の本能寺の変直後に焼失するまでわずか3年間しか存在しなかった城のため、焼失理由を含めて今もまだ未解明の部分が多い城となっています
備考:国の特別史跡

安土城

織田信長が奇想天外な天守を築いた安土城は琵琶湖の東岸にそびえる安土山(現在の近江八幡市安土町)に築城されています。京上洛の要の地である近江の中心部に位置し、織田信長の掲げる「天下布武」を誇示するのに最適な場所が安土山でした。「日本100名城

滋賀県立安土城考古博物館

織田信長の築いた安土城跡、近江源氏の佐々木氏、後に近江守護六角氏の居城となった観音寺城跡周辺に広がる歴史公園が近江風土記の丘(おうみふどきのおか)。その中心施設が滋賀県立安土城考古博物館です。第一常設展示室が考古、第二常設展示室が城郭という

安土城天主信長の館

平成4年にスペインの「セビリア万国博覧会」で日本館のメイン展示として出展された安土城天主5・6階部分を展示するドームが近江八幡市安土町にある安土城天主信長の館。「セビリア万国博覧会」会場においてももっとも多くの入場者を集めた展示です。本能寺

安土城郭資料館

JR琵琶湖線安土駅の南口ロータリー前にある城郭風の建物が安土城郭資料館。織田信長が築城した安土城のひな形が、実物の20分の1の大きさで再現されています。外観5層内部7階で、内部は狩野氷徳(かのうえいとく)の襖絵や儒教、仏教などの教えを絵で図

観音寺城

近江守護・六角氏の居城

所在地:滋賀県近江八幡市安土町石寺
旧国名:近江国
築城年:南北朝時代に北朝方・六角氏頼(ろっかくうじより)と推測
内容:標高432.7mの繖山(きぬがきやま=観音寺山)全体を城域とし、要所に土塁・石塁をめぐらし、大小多くの郭を配して、中世山城としては日本一の規模を誇った城
織田信長の安土城建設時に廃城となり、安土城の用材として資材が転用
備考:国の史跡、日本五大山城

観音寺城

近江守護で湖東、湖南地方を支配した佐々木六角氏の居城で国の史跡になっているのが近江八幡市安土町にある観音寺城。標高432.7mの繖山(きぬがきやま=観音寺山)全体を城域とし、要所に土塁・石塁をめぐらし、大小多くの郭を配して、中世山城としては

京都府

徳川家康が天下普請で築き、江戸幕府終焉の舞台となった二条城が京都府にある日本100名城。
慶応3年10月14日(1867年11月9日)に江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が政権返上を明治天皇に奏上する大政奉還の発表が行なわれたのは二の丸御殿大広間です。
小堀遠州作庭の大名庭園の二の丸庭園は、国の特別名勝になっています。

二条城

江戸時代には京都の政治・軍事の中心として機能

所在地:京都府京都市中京区二条通堀川西入ル二条城町541
旧国名:山城国
築城年:徳川家康が京都の守護と上洛時の宿泊場所として慶長8年(1603年)に天下普請で築造/永禄8年(1565年)、足利義輝が斯波氏の屋敷跡に二条御所を構えたのが前身
内容:御殿(現在の二の丸御殿)は、慶長16年(1611年)には徳川家康と豊臣秀頼との会見、さらには大坂冬の陣・夏の陣の軍議・出陣などの舞台となった場所
二の丸御殿(6棟)が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定(大坂冬の陣の際には二条城は家康の本陣)
備考:世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産

二条城

徳川家康が京都の守護と上洛時の宿泊場所として1603(慶長8)年に築造し、3代将軍・徳川家光が伏見城の遺構を移すなどして1626(寛永3)年に完成したのが二条城(元離宮二条城)。1867(慶応3)年に15代将軍・慶喜が大政奉還を行なうまで京

大阪府

大阪府にある日本100名城は、豊臣秀吉が築いた大坂城と、楠木正成の千早城の2城。
大坂城は豊臣政権の滅亡、江戸幕府の誕生を、そして千早城は鎌倉幕府の滅亡のきっかけを生んだ城という、歴史の転換を目の当たりにした名城ということに。

大坂城(大阪城)

豊臣秀吉が築き、大坂の陣で焼失後、徳川時代の城が築かれる

所在地:大阪府大阪市中央区大阪城3-11
旧国名:摂津国
築城年:天正11年(1583年)、一向宗(浄土真宗)本願寺派の拠点・石山本願寺跡に豊臣秀吉が築城
内容:城跡に現存する櫓や石垣などは徳川時代のもの
大阪城公園(旧本丸)の園内には藩政時代の大坂城を偲ぶ、大手門、焔硝蔵、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、金蔵、金明水井戸屋形など13棟の重要文化財が現存
備考:国の特別史跡、日本三名城

大阪城公園

大阪の中央に位置する、総面積106.7haの広大な公園。都心にある緑溢れる公園は「大阪みどりの百選」にも選定されている。もともとこの地には一向宗(浄土真宗)本願寺派の拠点・石山本願寺がありましたが、1580(天正8)年の織田信長との石山合戦

大阪城天守閣

大坂城(大阪城)の天守閣は、天正11年(1583)、天下統一を目指した豊臣秀吉によって築城され、1615(慶長20)年、大坂夏の陣で落城後、1626年(寛永3)年に徳川幕府によって再び築かれたもの。現存する天守閣の石垣や巨石は瀬戸内海の島々

千早城

「100日戦争」(千早城の戦い)で鎌倉幕府軍を撃退

所在地:大阪府南河内郡千早赤阪村千早
旧国名:河内国
築城年:南北朝時代の元弘2年・正慶元年(1332年)に楠木正成が築城
内容:本丸の最高所は、金剛山(1125m)へと連なる尾根上の標高666mの地点という山城
元弘2年・正慶元年(1332年)、楠木正成は千早城で挙兵し、同月、護良親王も吉野で挙兵して倒幕の令旨を発しています
備考:国の史跡

千早城

大阪府千早赤阪村にある楠木正成が築いた難攻不落の中世の山城跡が千早城。大和国と河内国を結ぶ千早街道を抑える交通の要衝に位置しています。楠木正成は、鎌倉幕府軍との合戦の地、赤坂城の詰めの城として千早城を築き、下赤坂城、上赤坂城、千早城の3城で

兵庫県

兵庫県には「天空の城」として有名な竹田城、徳川家康が西国大名20名を動員して天下普請で築かせた篠山城(ささやまじょう)、徳川家康の曾孫にあたる小笠原忠真(おがさわらただざね)が築いた明石城、石高以上の造りのため藩財政を圧迫した赤穂城、そして世界文化遺産の姫路城と、城好きを唸らせる名城がズラリと揃っています。

竹田城

雲海に浮かぶ「天空の城」として有名

所在地:兵庫県朝来市和田山町竹田古城山169
旧国名:但馬国
築城年:嘉吉年間(1441年〜14434年)、但馬の守護大名・山名宗全(やまなそうぜん)が出石城(いずしじょう)の出城として13年の歳月をかけて築いた城
内容:天守台は標高353.7mの山上に位置し、天守台を中央に、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に、南千畳、北千畳、花屋敷が放射状に配置
備考:国の史跡

竹田城

兵庫県朝木市の古城山(虎臥山)に築かれた山城が竹田城。日本100名城のひとつで、映画『天と地と』、『あなたへ』のロケ地にもなっています。嘉吉年間(1441年〜14434年)、但馬の守護大名・山名宗全(やまなそうぜん)が出石城(いずしじょう)

篠山城

西国大名に対する備えとして徳川家康が築城

所在地:兵庫県篠山市北新町2-3
旧国名:丹波国
築城年:徳川家康が築城の名人・藤堂高虎(とうどうたかとら)ら5人を普請奉行に任じ、池田輝政、福島正則、毛利秀就、山内忠義ら西国大名20名を動員して天下普請で、慶長14年(1609年)に完成
内容:関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が大坂(現・大阪)の豊臣家と西国大名の分断を図り、西国大名に対する備えとして築城
石垣に築いた大名が記した刻印の数も150種に及び、大坂城、名古屋城に次ぐ数となっています
対豊臣残党を想定し、天守はもたず、弓、鉄砲を放つ隠狭間を多く造るという近世の城郭としては非常に実戦的な城となっています
備考:国の史跡

篠山城

篠山盆地(兵庫県篠山市)の中央部、笹山とよばれる小丘陵に築かれた平山城が、篠山城(ささやまじょう)。徳川家康が築城の名人・藤堂高虎(とうどうたかとら)ら5人を普請奉行に任じ、池田輝政、福島正則、毛利秀就、山内忠義ら西国大名20名を動員して天

篠山城・大書院

徳川家康の命により、池田輝政が普請総奉行を務め、天下普請で築かれた篠山城。天下慶長14年(1609年)、篠山城築城と同時に完成したのが大書院です。籠城時に天守は不要という家康の考えから、天守も持たない実戦的な城でしたが、家康の隠し子との説も

明石城

譜代大名たる小笠原氏10万石の居城として築城

所在地:兵庫県明石市明石公園1-27
旧国名:播磨国
築城年:元和2年(1619年)、徳川家康の曾孫で明石、三木、加古、加東の4郡10万石を領した小笠原忠真(おがさわらただざね)が将軍家と姫路藩・本多家の支援を受けて築城
内容:船上城の櫓を再生した巽櫓(たつみやぐら)、伏見城から移築されたという坤櫓(ひつじさるやぐら)は、国の重要文化財
坤櫓は天守が造られなかった明石城では最大の櫓で、まさに代用天守
備考:国の史跡

県立明石公園(明石城)

明石城は元和2年(1619年)、徳川家康の曾孫で明石、三木、加古、加東の4郡10万石を領した小笠原忠真(おがさわらただざね)が将軍家と姫路藩・本多家の支援を受けて築いた城が明石城。城跡は県立明石公園として整備され、往時のままに現存する東西の

姫路城

日本で初の世界文化遺産となった名城

所在地:兵庫県姫路市本町68
旧国名:播磨国
築城年:元弘3年(1333年)、播磨の守護職・赤松則村によって、砦が築かれたのが始まり
内容:天正8年(1580年)、羽柴秀吉の中国攻略のため、黒田官兵衛は羽柴秀吉に姫路城を献上。羽柴秀吉は翌年、3層の天守を完成させ、本格的な城郭整備
慶長5年(1600年)、池田輝政が入城し、城域を拡張し、5層7重の大天守を構築、本多忠政(ほんだただまさ=徳川四天王・本多忠勝の子)は三の丸、西の丸を造営し、ほぼ現在の姿に
備考:世界文化遺産、国宝5天守、国の特別史跡、三大平山城、三大連立式平山城

姫路城

日本の近世城郭のなかでも、築城当時の姿を残す唯一の存在といわれる姫路城。歴史は古く、1333(元弘3)年、播磨の守護職・赤松則村によって、砦が築かれたのが始まり。羽柴秀吉により、さらに池田輝政が現在の城郭を建築しました。天守群は国宝に、そし

姫路城・天守

世界文化遺産に登録される姫路城のシンボル的な存在が天守丸にそびえる連立した天守群。国内に現存する12の現存天守の一つが姫路城の天守。しかも現存する天守のなかで最大の規模を誇り、大天守と3重の小天守3基(東小天守・西小天守・乾小天守)、さらに

赤穂城

『忠臣蔵』で名高い赤穂浪士ゆかりの名城

所在地:兵庫県赤穂市上仮屋
旧国名:播磨国
築城年:浅野長直(あさのながなお)が、慶安元年(1648年)から13年の歳月を費やして築城
内容:甲州流軍学による縄張りは、本丸と二の丸は輪郭式、二の丸と三の丸の関係は梯郭式で、近世城郭史上珍しい変形輪郭式の海岸平城
赤穂藩の石高以上(浅野長直入部時に5万3000石、永井直敬入部時には3万2000石、森家時代は2万石)の規模のため財政を圧迫しました
備考:国の史跡、国の名勝

赤穂城

常陸国笠間藩から入封した浅野長直(あさのながなお)が、慶安元年(1648年)から13年の歳月を費やして築城した名城が赤穂城。甲州流軍学による縄張りは、本丸と二の丸は輪郭式、二の丸と三の丸の関係は梯郭式で、近世城郭史上珍しい変形輪郭式の海岸平

奈良県

奈良県にある日本100名城は、日本三大山城に数えられる高取城のみ。
現存する石垣の大部分は、豊臣秀長時代に築かれたものですが、山上ゆえに破壊されることもなく、往時の姿をとどめています。

高取城

高取山(583.6m)の山頂に築かれた典型的な山城

所在地:奈良県高市郡高取町高取
旧国名:大和国
築城年:南北朝時代の元弘2年・正慶元年(1332年)、南朝方の越智邦澄(おちくにずみ)が築城
内容:比高350mの高取山山上に築かれた難攻不落を誇った城
越智氏が城主の時代には貝吹山城と呼ばれていましたが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉から大和・和泉・紀伊を与えられた弟・豊臣秀長が家臣・本多正俊を配して大改修を行なっています
元和元年(1615年)の一国一城令の際も、重要な山城として破却を免れ、日本屈指の山城としての姿は存続
備考:国の史跡、日本三大山城

高取城

美濃・岩村城(岐阜県恵那市岩村町)、備中松山城(岡山県高梁市)とともに「日本三大山城」に数えられる名城が奈良県高市郡高取町にある高取城。南北朝時代、元弘2年・正慶元年(1332年)、南朝方の越智邦澄(おちくにずみ)によって高取山(583.6

和歌山県

和歌山県内にある日本100名城は、徳川御三家で、徳川吉宗を輩出した紀州徳川家の居城、和歌山城のみ。
その和歌山城ですが、もともとは羽柴秀吉が弟・羽柴秀長のために築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)を普請奉行にして築いた城です。

和歌山城

紀州徳川家55万5000石の居城

所在地:和歌山県和歌山市一番丁3
旧国名:紀伊国
築城年:天正13年(1585年)、有力豪族・雑賀党(さいかとう=雑賀衆)を破り紀州を平定した羽柴秀吉(翌年豊臣姓に)が築城
内容:元和5年(1619年)、2代将軍・徳川秀忠の命で徳川家康の第10子・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が南伊勢を加えた55万5000石の和歌山藩主となり、紀州徳川家の祖に
旧二の丸部分に本丸御殿を築き、新たに二の丸を山麓に構築
備考:国の史跡、国の名勝、三大連立式平山城

和歌山城

和歌山市の中心部、紀ノ川河口の虎伏山(とらふすやま・標高48.9m)に建つ平山城。もとは1585(天正13)年、有力豪族・雑賀党(さいかとう=雑賀衆)を破り紀州を平定した羽柴秀吉(翌年豊臣姓に)が、弟・秀長のために藤堂高虎(とうどうたかとら

日本100名城 近畿14城
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

奈良県三大名城とは!?

奈良県で日本100名城に選定されるのは、高取町の高取城だけですが、日本三大山城に数えられる名城。さらに城下町が宇陀松山伝統的建造物群保存地区となる宇陀松山城、江戸時代に郡山藩の藩庁となった大和郡山城が続日本100名城で、この3つの城が、奈良

大阪五大名城とは!?

大阪府下にある日本100名城選定の城は、国の特別史跡にもなっている大坂城、そして楠木正成ゆかりの千早城の2城。続日本100名城選定の芥川山城(あくたがわやまじょう)、飯盛山城(いいもりやまじょう)、岸和田城の3城を加えた中世から近世の5つの

滋賀県六大名城とは!?

京に近く、東海道・中山道・北陸道が合流する陸上交通、琵琶湖舟運の要衝でもあり、「近江を制する者は天下を制す」といわれた滋賀県。日本100名城選定の彦根城、安土城、小谷城(おだにじょう)、続日本100名城の観音寺城、八幡山城、鎌刃城(かまはじ

和歌山県二大名城とは!?

和歌山市は、徳川御三家・紀州徳川家の城下町。藩庁となった和歌山城は、日本100名城に選定。続日本100名城に選定されるのは、一国一城令以降も、支城として認められた新宮城。水野家3万5000石の居城ですが、大名には数えられていません。この2城

兵庫県九大名城とは!?

兵庫県は日本一名城の多い県で、世界遺産の姫路城(姫路市)を筆頭に、竹田城(朝来市)、篠山城(篠山市)、明石城(明石市)、赤穂城(赤穂市)が日本100名城、出石城・有子山城(豊岡市)、黒井城(丹波市)、洲本城(洲本市)が続日本100名城で、以

 

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