江戸時代まで朝廷があった京に近く、戦国武将の活躍の舞台として歴史の表舞台に登場する機会の多い、近畿の名城。さらに江戸時代の初めには徳川幕府の西国監視の役割を果たした姫路や明石の城。近畿には魅力あふれる城が多く、天空の城として有名な竹田城など、中世の山城が多いことにも注目を!
滋賀県
京に近い湖国・近江はまさに名城の宝庫。
戦国時代の城としては織田信長の築いた山城の安土城を筆頭に、日本五大山城(戦国五大山城)に数えられる浅井家(あざいけ)の居城・小谷城(おだにじょう)、近江守護・六角氏の居城の観音寺場があります。
近世城郭としては国宝5天守のひとつがある彦根城があり、ダイナミックな歴史を体感できるエリアとなっています。
小谷城
戦国時代に湖北を領有した浅井氏3代の居城
所在地:滋賀県長浜市湖北町伊部
旧国名:近江国
築城年:大永4年(1524年)頃、浅井亮政(あざいすけまさ)が築城
内容:小谷山(おだにやま・標高495.1m)にあり、浅井(あざい)家が3代にわたって居城とした中世の山城
小谷城が難攻不落を誇ったのは、丁野山城、山本山城という西側の尾根に配置した支城の存在が大きく、毎年のように北近江に出陣した信長軍を手こずらせています
元亀3年(1572年)、小谷城の目の前に虎御前山城(とらごぜんやまじょう)を築き、山本山城を守る阿閉貞征(あつじさだゆき)を調略し、ついに天正元年(1573年)、清水谷から本城へと攻め上ってついに落城
羽柴秀吉が湖北三郡を領有しましたが、天正3年(1585年)、今浜の地(近江長浜)に新たに城を築いて廃城に
最頂部の大獄(おおずく)に浅井長政自刃の地の石碑が立っています
備考:国の史跡、日本五大山城(戦国五大山城)
彦根城
彦根藩井伊家35万石の居城で天守は国宝
所在地:滋賀県彦根市金亀町3-40
旧国名:近江国
築城年:慶長8年(1603年)、徳川家康の命を受け、井伊直継が西国に向けての防衛拠点としての彦根城の築城を開始、慶長11年(1606年)に完成
内容:天守は大津城からの移築とされるほか、多くの建造物が廃城となった琵琶湖周辺の城からの移築で、諸大名による天下普請(てんかぶしん)で築かれています
優美な姿の天守は国宝、太鼓門櫓(たいこもんやぐら)や天秤櫓(てんびんやぐら)などは国の重要文化財に指定
二の丸部分に残る楽々園は、かつての二の丸御殿の一部で、その隣の玄宮園は、藩主が接待などにも使った二の丸庭園(大名庭園)
備考:国宝5天守、国の特別史跡、国の名勝、琵琶湖国定公園第1種特別地域
安土城
織田信長の「天下布武」の拠点
所在地:滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
旧国名:近江国
築城年:天正7年(1579年)、織田信長が築城
内容:琵琶湖を従え、京にも近く、北国街道や東海道、中山道にもにらみが利く安土山の山上部が安土城の主郭で、本丸、二の丸、三の丸を構え、天守がそびえていました
天正10年(1582年)の本能寺の変直後に焼失するまでわずか3年間しか存在しなかった城のため、焼失理由を含めて今もまだ未解明の部分が多い城となっています
備考:国の特別史跡
観音寺城
近江守護・六角氏の居城
所在地:滋賀県近江八幡市安土町石寺
旧国名:近江国
築城年:南北朝時代に北朝方・六角氏頼(ろっかくうじより)と推測
内容:標高432.7mの繖山(きぬがきやま=観音寺山)全体を城域とし、要所に土塁・石塁をめぐらし、大小多くの郭を配して、中世山城としては日本一の規模を誇った城
織田信長の安土城建設時に廃城となり、安土城の用材として資材が転用
備考:国の史跡、日本五大山城
京都府
徳川家康が天下普請で築き、江戸幕府終焉の舞台となった二条城が京都府にある日本100名城。
慶応3年10月14日(1867年11月9日)に江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が政権返上を明治天皇に奏上する大政奉還の発表が行なわれたのは二の丸御殿大広間です。
小堀遠州作庭の大名庭園の二の丸庭園は、国の特別名勝になっています。
二条城
江戸時代には京都の政治・軍事の中心として機能
所在地:京都府京都市中京区二条通堀川西入ル二条城町541
旧国名:山城国
築城年:徳川家康が京都の守護と上洛時の宿泊場所として慶長8年(1603年)に天下普請で築造/永禄8年(1565年)、足利義輝が斯波氏の屋敷跡に二条御所を構えたのが前身
内容:御殿(現在の二の丸御殿)は、慶長16年(1611年)には徳川家康と豊臣秀頼との会見、さらには大坂冬の陣・夏の陣の軍議・出陣などの舞台となった場所
二の丸御殿(6棟)が国宝に、22棟の建造物と二の丸御殿の障壁画計1016面が重要文化財に、二の丸御殿庭園が特別名勝に指定(大坂冬の陣の際には二条城は家康の本陣)
備考:世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産
大阪府
大阪府にある日本100名城は、豊臣秀吉が築いた大坂城と、楠木正成の千早城の2城。
大坂城は豊臣政権の滅亡、江戸幕府の誕生を、そして千早城は鎌倉幕府の滅亡のきっかけを生んだ城という、歴史の転換を目の当たりにした名城ということに。
大坂城(大阪城)
豊臣秀吉が築き、大坂の陣で焼失後、徳川時代の城が築かれる
所在地:大阪府大阪市中央区大阪城3-11
旧国名:摂津国
築城年:天正11年(1583年)、一向宗(浄土真宗)本願寺派の拠点・石山本願寺跡に豊臣秀吉が築城
内容:城跡に現存する櫓や石垣などは徳川時代のもの
大阪城公園(旧本丸)の園内には藩政時代の大坂城を偲ぶ、大手門、焔硝蔵、多聞櫓、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、金蔵、金明水井戸屋形など13棟の重要文化財が現存
備考:国の特別史跡、日本三名城
千早城
「100日戦争」(千早城の戦い)で鎌倉幕府軍を撃退
所在地:大阪府南河内郡千早赤阪村千早
旧国名:河内国
築城年:南北朝時代の元弘2年・正慶元年(1332年)に楠木正成が築城
内容:本丸の最高所は、金剛山(1125m)へと連なる尾根上の標高666mの地点という山城
元弘2年・正慶元年(1332年)、楠木正成は千早城で挙兵し、同月、護良親王も吉野で挙兵して倒幕の令旨を発しています
備考:国の史跡
兵庫県
兵庫県には「天空の城」として有名な竹田城、徳川家康が西国大名20名を動員して天下普請で築かせた篠山城(ささやまじょう)、徳川家康の曾孫にあたる小笠原忠真(おがさわらただざね)が築いた明石城、石高以上の造りのため藩財政を圧迫した赤穂城、そして世界文化遺産の姫路城と、城好きを唸らせる名城がズラリと揃っています。
竹田城
雲海に浮かぶ「天空の城」として有名
所在地:兵庫県朝来市和田山町竹田古城山169
旧国名:但馬国
築城年:嘉吉年間(1441年〜14434年)、但馬の守護大名・山名宗全(やまなそうぜん)が出石城(いずしじょう)の出城として13年の歳月をかけて築いた城
内容:天守台は標高353.7mの山上に位置し、天守台を中央に、本丸、二の丸、三の丸、南二の丸が連郭式に、南千畳、北千畳、花屋敷が放射状に配置
備考:国の史跡
篠山城
西国大名に対する備えとして徳川家康が築城
所在地:兵庫県篠山市北新町2-3
旧国名:丹波国
築城年:徳川家康が築城の名人・藤堂高虎(とうどうたかとら)ら5人を普請奉行に任じ、池田輝政、福島正則、毛利秀就、山内忠義ら西国大名20名を動員して天下普請で、慶長14年(1609年)に完成
内容:関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が大坂(現・大阪)の豊臣家と西国大名の分断を図り、西国大名に対する備えとして築城
石垣に築いた大名が記した刻印の数も150種に及び、大坂城、名古屋城に次ぐ数となっています
対豊臣残党を想定し、天守はもたず、弓、鉄砲を放つ隠狭間を多く造るという近世の城郭としては非常に実戦的な城となっています
備考:国の史跡
明石城
譜代大名たる小笠原氏10万石の居城として築城
所在地:兵庫県明石市明石公園1-27
旧国名:播磨国
築城年:元和2年(1619年)、徳川家康の曾孫で明石、三木、加古、加東の4郡10万石を領した小笠原忠真(おがさわらただざね)が将軍家と姫路藩・本多家の支援を受けて築城
内容:船上城の櫓を再生した巽櫓(たつみやぐら)、伏見城から移築されたという坤櫓(ひつじさるやぐら)は、国の重要文化財
坤櫓は天守が造られなかった明石城では最大の櫓で、まさに代用天守
備考:国の史跡
姫路城
日本で初の世界文化遺産となった名城
所在地:兵庫県姫路市本町68
旧国名:播磨国
築城年:元弘3年(1333年)、播磨の守護職・赤松則村によって、砦が築かれたのが始まり
内容:天正8年(1580年)、羽柴秀吉の中国攻略のため、黒田官兵衛は羽柴秀吉に姫路城を献上。羽柴秀吉は翌年、3層の天守を完成させ、本格的な城郭整備
慶長5年(1600年)、池田輝政が入城し、城域を拡張し、5層7重の大天守を構築、本多忠政(ほんだただまさ=徳川四天王・本多忠勝の子)は三の丸、西の丸を造営し、ほぼ現在の姿に
備考:世界文化遺産、国宝5天守、国の特別史跡、三大平山城、三大連立式平山城
赤穂城
『忠臣蔵』で名高い赤穂浪士ゆかりの名城
所在地:兵庫県赤穂市上仮屋
旧国名:播磨国
築城年:浅野長直(あさのながなお)が、慶安元年(1648年)から13年の歳月を費やして築城
内容:甲州流軍学による縄張りは、本丸と二の丸は輪郭式、二の丸と三の丸の関係は梯郭式で、近世城郭史上珍しい変形輪郭式の海岸平城
赤穂藩の石高以上(浅野長直入部時に5万3000石、永井直敬入部時には3万2000石、森家時代は2万石)の規模のため財政を圧迫しました
備考:国の史跡、国の名勝
奈良県
奈良県にある日本100名城は、日本三大山城に数えられる高取城のみ。
現存する石垣の大部分は、豊臣秀長時代に築かれたものですが、山上ゆえに破壊されることもなく、往時の姿をとどめています。
高取城
高取山(583.6m)の山頂に築かれた典型的な山城
所在地:奈良県高市郡高取町高取
旧国名:大和国
築城年:南北朝時代の元弘2年・正慶元年(1332年)、南朝方の越智邦澄(おちくにずみ)が築城
内容:比高350mの高取山山上に築かれた難攻不落を誇った城
越智氏が城主の時代には貝吹山城と呼ばれていましたが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉から大和・和泉・紀伊を与えられた弟・豊臣秀長が家臣・本多正俊を配して大改修を行なっています
元和元年(1615年)の一国一城令の際も、重要な山城として破却を免れ、日本屈指の山城としての姿は存続
備考:国の史跡、日本三大山城
和歌山県
和歌山県内にある日本100名城は、徳川御三家で、徳川吉宗を輩出した紀州徳川家の居城、和歌山城のみ。
その和歌山城ですが、もともとは羽柴秀吉が弟・羽柴秀長のために築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)を普請奉行にして築いた城です。
和歌山城
紀州徳川家55万5000石の居城
所在地:和歌山県和歌山市一番丁3
旧国名:紀伊国
築城年:天正13年(1585年)、有力豪族・雑賀党(さいかとう=雑賀衆)を破り紀州を平定した羽柴秀吉(翌年豊臣姓に)が築城
内容:元和5年(1619年)、2代将軍・徳川秀忠の命で徳川家康の第10子・徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が南伊勢を加えた55万5000石の和歌山藩主となり、紀州徳川家の祖に
旧二の丸部分に本丸御殿を築き、新たに二の丸を山麓に構築
備考:国の史跡、国の名勝、三大連立式平山城
日本100名城 近畿14城 | |
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