小谷城

滋賀県長浜市の小谷山(おだにやま・標高495.1m)にあり、浅井(あざい)家が3代にわたって居城とした中世の山城で国の史跡が小谷城(おだにじょう)。大永4年(1524年)頃に浅井亮政(あざいすけまさ)が自然の地形を巧みに利用して築城したと推測されています。日本100名城、日本五大山城(戦国五大山城)に選定。

戦国時代に湖北を領有した浅井氏3代の居城

小谷城

山麓から眺める小谷山

小谷城

小谷城から眺めた琵琶湖

浅井亮政、浅井久政、浅井長政の3代にわたっての居城となった近江・湖北の名城。
北近江の覇権を握った京極氏の配下、浅井亮政はその拠点として小谷城を築城しています。
浅井久政の時代には近江守護の六角氏に従属しますが、永禄3年(1560年)の野良田の戦いで六角氏を打ち破った浅井長政は、その後、小谷城を拠点として北近江を支配しています。

南北に長い山城で、本丸を中心に北に中の丸、京極丸、小丸、山王丸、南の金吾丸、出丸など、尾根上に各郭が配置され、難攻不落を誇っています。

浅井長政は、信長の妹・お市妻とするなど、織田家とは友好的な関係を築きましたが、信長の越前・朝倉攻めの際に突如として裏切り、元亀争乱へと発展します。

元亀元年(1570年)、姉川を血で染めたという姉川の合戦で織田・徳川連合軍は浅井・朝倉連合軍を撃破、小谷山の南方に位置する横山城を奪い取って木下藤吉郎を城番に、小谷城を監視します。

小谷城が難攻不落を誇ったのは、丁野山城、山本山城という西側の尾根に配置した支城の存在が大きく、毎年のように北近江に出陣した信長軍を手こずらせます。

しかし、信長は元亀3年(1572年)、小谷城の目の前に虎御前山城(とらごぜんやまじょう)を築き、山本山城を守る阿閉貞征(あつじさだゆき)を調略し、ついに天正元年(1573年)、清水谷から本城へと攻め上って落城させています。

浅井家が滅んだ後、羽柴秀吉が湖北三郡を領有しましたが、天正3年(1585年)、今浜の地(近江長浜)に新たに城を築いて廃城となりました。

土塁、石垣、浅井長政自刃の地などが残されている

小谷城

中丸

小谷城

小丸

最頂部の大獄(おおずく)に土塁、山王丸の東側に石垣、浅井長政自刃の地などが残され、小谷山全山におよぶ城の遺構から、当時の面影が偲ぶことができます。

浅井長政と妻・お市の悲話の舞台でもあり、平成23年のNHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』のヒロインであるお市の娘・戦国三姉妹(茶々・初・江=小督)の生まれ育った所、落城寸前にお市と三姉妹が助け出された城としても有名。

なお山麓の清水谷には、平時における浅井氏と家臣たちの館跡が残されています。
浅井氏の菩提寺と伝わる徳昌寺も清水谷にありました。

戦国時代には、米原から鉄砲の里・国友を通り小谷城下の伊部宿に至る「小谷道」(山西街道)が主要な交易ルートとして使われていました。
さらに越前と美濃を結ぶ北国道(北国脇往還)も通じ、交通の要衝になっていました。
小谷城下へと通じる田川は、姉川を経て琵琶湖の湖上交通(舟運)とつながっていました。

越後国(新潟県)の春日山城、出雲国(島根県)の月山富田城、近江国(滋賀県)の観音寺城、能登国(石川県)の七尾城と並び、「日本五大山城」にも数えられています。

小谷城

本丸

小谷城

浅井長政自刃の地

小谷城 DATA

名称 小谷城/おだにじょう
所在地 滋賀県長浜市湖北町伊部
関連HP 長浜市公式ホームページ
電車・バスで JR河毛駅から湖北町タウンバス上山田行きで10分、小谷城跡下車、徒歩1時間
ドライブで 北陸自動車道小谷城スマートICから約1.6km
駐車場 戦国ガイドステーション駐車場(200台/無料)
問い合わせ 長浜市産業観光部観光振興課TEL:0749-62-4111
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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