「するってえとなにかい、あっしをお切りなさるっていうのかい?」コレ、座頭市が憎き相手を返り討ちにする直前の決めぜりふ。映画の『座頭市』は勝新太郎のはまり役。 『座頭市』といえば勝新、勝新といえば『座頭市』です(近年は北野武、香取慎吾の座頭市も)。その座頭市が実在したという話です。
映画&テレビの『座頭市』には原作がある
勝新太郎主演の劇場版『座頭市』は、モノクロ映画時代の昭和37年の『座頭市物語』(監督・三隅研次)に始まり、平成元年の『座頭市』まで26作を数えるヒット作。
北野武監督・主演の『座頭市』は、平成15年公開で、日本国内の観客動員数は200万人で、北野映画最大のヒット作になり、座頭市人気の根強さを感じさせました。
平成22年公開の『座頭市 THE LAST』は香取慎吾主演で『座頭市』シリーズの「最終作」と銘打った作品です。
盲目というハンデキャップを背負った謎の侠客「市(いち)」の活躍を描いた作品『座頭市』ですが、「発祥の地」があることをご存じでしょうか?
『座頭市』は、作家・子母澤寛(しもざわかん)の『ふところ手帖』が始まり。
子母澤寛は大正3年、明治大学専門部法科卒業後、大正8年から読売新聞社に勤め、大正15年に東京日日新聞に移って、昭和3年『新選組始末記』で作家デビュー(その後、『新選組遺聞』、『新選組物語』の『新選組三部作』で完結)。
劇場版『座頭市』は、戦後まもない昭和23年、雑誌『小説と読物』に連載された『ふところ手帖』の1篇『座頭市物語』が原作。
子母澤寛は、房総を代表する侠客で、嘉永3年(1850年)の宝井琴凌『天保水滸伝』で悪名を轟かせた飯岡助五郎(いいおかすけごろう)を取材しますが、その際に盲目の侠客・座頭の市の話を聞き、『座頭市物語』を記したのです。
この『ふところ手帖』収録の『座頭市物語』が映画化されるまでは、まったくの無名で、子母澤寛によれば「座頭市は飯岡助五郎一家に草鞋を脱いでいた客人」とのこと。
余談ですが、座頭とは江戸時代の視覚障害者の階級のこと。
「天保の頃、下総飯岡の石渡助五郎(飯岡助五郎)のところに座頭市という盲目の子分がいた」
「何処の生れか、どんな素姓の奴かわからないが、とにかく按摩で関八州を股にかけて渡った者で、みんな見た通りに座頭座頭といったが、市という名も市太郎か市五郎か、それとも出鱈目か、わからなかった。」(子母澤寛著『ふところ手帖』の冒頭)
こうして『座頭市』がデビュー。
中公文庫版でたった9ページの短編小説にすぎない原作版『座頭市物語』ですが、なんと勝新太郎主演の映画26作品、テレビシリーズ4作・合計100話にもなるという大発展を遂げるのです。
座頭市は実在し、本名も判明している!?
ちょっとした取材メモが、稀代の時代劇スターを生み出すのは珍しいことだと思います。
新聞記者のするどい直感があったのでしょう。
作者の子母澤寛の祖父は、彰義隊に参加した幕臣で、箱館戦争に敗れて捕虜となり札幌で開拓に勤しんだ後、厚田で漁場を持ったという波乱な生涯を送っていますが、任侠風の人柄だったといわれ、そんな影響もあったのかもしれません。
飯岡で伝承される座頭市の話、座頭市は本当に実在したのでしょうか?
「会津若松市の浄光寺というお寺に座頭市の墓が実際にありますから、実在したのは事実でしょう」とは、旭市の観光関係者の解説。
えっ!? 墓がある?
会津若松市南千石町にある井上定光寺というお寺がそれで、北野武監督・主演の『座頭市』がヒットして以来、『座頭市』ファン注目の寺になったとのこと。
本名は、阿部常衛門。
越後長岡藩主牧野家の武士で(越後長岡藩主牧野家のご落胤とも)、青年時代に眼病を患い失明。
「佐渡市」(さどいち)を名乗ったとのこと。
年老いてから飯岡に出向いたようで、嘉永2年(1849年)11月没と、没年まで判明しているのです。
「物語の舞台である川端町の、サラサラ流れる綺麗な小川周辺も、往時を偲ばせる風景として残るところ」(座頭市物語の碑建立委員会)
ということで、平成22年に旭市飯岡につくられたのが、座頭市発祥の地碑。
碑の除幕式から1週間後には映画『座頭市 THE LAST』(香取慎吾主演)が公開されるというタイミング。
勝新世代だけじゃなく、SMAP世代の『座頭市』ファンを呼び込もうというわけです。
「いいおか潮騒ホテル」の入口にその発祥の碑は立っています。
『座頭市』は実在し、ルーツや本名もある! | |
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