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東京の廃線跡を歩こう! 全12線

東京の廃線跡を歩こう! 全12線

東京都内には、小河内ダム建設の資材を運搬した東京都水道局小河内線(水根貨物線)、武蔵野競技場への中央線の支線、米軍立川基地への引込線、そして陸軍の軍用鉄道、都電の専用軌道など数多くの廃線跡が残されています。散策に絶好、あるいは散策途中に見学できる12線を紹介しましょう。

国鉄・武蔵野競技場線(堀合遊歩道)|三鷹市

場所:東京都三鷹市上連雀1-22
線名:国鉄・武蔵野競技場線
概要:昭和26年4月14日、中央本線の支線として三鷹駅〜武蔵野競技場前駅(3.2 km)が開業、昭和26年4月14日開幕の東京六大学野球・春のリーグ戦が武蔵野競技場をこけら落としに使用(当時はプロ野球よりも東京六大学野球のほうが人気があり、日本初のテレビスポーツ中継も昭和28年の東京六大学野球開幕戦)、プロ野球の誘致に失敗したことから、昭和34年11月1日廃線に
遺構:玉川上水を渡る鉄道橋梁の橋台が現存

堀合遊歩道

東京都三鷹市、JR中央本線・三鷹駅の西側から北側の境浄水場方面に伸びる緑地帯が、堀合遊歩道(ほりあわいゆうほどう)。三鷹電車庫に近い堀合児童公園からスタートし、弧を描いて新武蔵境通りまでの緑地帯で、国鉄・武蔵野競技場線の廃線跡で、武蔵野市側

国鉄・武蔵野競技場線(グリーンパーク遊歩道)|武蔵野市

場所:東京都武蔵野市関前
線名:国鉄・武蔵野競技場線
概要:昭和26年4月14日、中央本線の支線として三鷹駅〜武蔵野競技場前駅(3.2 km)が開業、昭和26年4月14日開幕の東京六大学野球・春のリーグ戦が武蔵野競技場をこけら落としに使用(当時はプロ野球よりも東京六大学野球のほうが人気があり、日本初のテレビスポーツ中継も昭和28年の東京六大学野球開幕戦)、プロ野球の誘致に失敗したことから、昭和34年11月1日廃線に
遺構:終点の武蔵野競技場前駅は、現在、大型レジデンス「武蔵野ガリレア」に、グリーンパーク野球場はUR都市機構の「武蔵野緑町パークタウン」に変貌し、面影がありません

グリーンパーク遊歩道

東京都武蔵野市、武蔵野中央公園へと北上する緑道が、グリーンパーク遊歩道。武蔵野中央公園から東側一帯は、戦前に軍需産業の中島飛行機武蔵製作所だった地。その工場に資材を運んだ鉄道の廃線跡を遊歩道に転用したもの。戦後の8年間は東京グリーンパーク球

立川基地引込線(中神引込線)

場所:東京都昭島市中神町
線名:立川基地引込線(中神引込線)
概要:戦時中の昭和18年、青梅電気鉄道(現・JR青梅線/昭和19年に国有化)・中神駅(明治41年開業)から引込線を敷設
戦後は立川飛行場とともに進駐軍(アメリカ軍)に接収され、引込線もアメリカ軍専用線(1.9km)として使われ、航空燃料や重油などが運ばれています
昭和52年11月30日、立川飛行場全面返還と同時に返還され、引込線の廃線跡は、中神引込線通りとして道路に転用
遺構:道路脇にレールの一部と転轍機が保存されているほか、むさしの公園にレールなどが復元
立川飛行場の一部が国営昭和記念公園や国際法務総合センターに転用

立川基地引込線跡(中神引込線跡)

東京都昭島市、国営昭和記念公園の西、南北に通る富士見通りの一本西をやはり南北に通る道が、立川基地引込線跡(中神引込線跡)。立川飛行場に隣接する陸軍航空工廠(戦後は米軍立川基地)引込線の廃線跡で、青梅線・中神駅から立川基地まで敷設されていた貨

東京都水道局小河内線(水根貨物線)|奥多摩町

場所:東京都西多摩郡奥多摩町氷川
線名:東京都水道局小河内線(水根貨物線)
概要:青梅線・氷川駅(現・奥多摩駅)と多摩川上流部の水根駅を結ぶ、6.7kmの貨物線で、東京都が水源確保のために多摩川に築いた小河内ダムの建設用資材輸送用に敷設・管理した鉄道の跡
遺構:奥多摩駅近くの奥多摩工業氷川工場横に第一氷川橋梁、日原街道から美しいアーチを描く日原川橋梁を眺望できるほか、奥多摩むかし道(旧青梅街道)沿いに第一弁天橋橋梁、第二弁天橋橋梁、第三氷川トンネル、第四氷川トンネル(真上を通ります)などがあり、ハイキング途中で確認可能

東京都水道局小河内線(水根貨物線)跡

東京都西多摩郡奥多摩町、青梅線・氷川駅(現・奥多摩駅)と多摩川上流部の水根駅を結ぶ、6.7kmの貨物線の廃線跡が、東京都水道局小河内線(水根貨物線)跡。東京都が水源確保のために多摩川に築いた小河内ダムの建設用資材輸送用に敷設・管理した貨物線

日本貨物鉄道(JR貨物)・北王子線|北区

場所:東京都北区王子3-2
線名:日本貨物鉄道(JR貨物)・北王子線
概要:田端信号場駅〜北王子駅(貨物駅)を結ぶ4.0kmの線路で、正式には東北本線の貨物支線(単線)
平成26年7月1日に廃止
遺構:北王子倉庫跡地はザ・ガーデンズ東京王子に変身
線路の撤去、遊歩道化の計画が進行中

北王子線廃線跡

東京都北区にある日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物線の廃線跡が、北王子線廃線跡。田端信号場駅〜北王子駅(貨物駅)を結ぶ4.0kmの線路で、単線。正式には東北本線の貨物支線で、平成26年7月1日に廃止されています。線路の撤去が徐々に進み、将来的に

大日本人造肥料王子工場専用線(須賀線)|北区

場所:東京都北区王子4-1-5
線名:大日本人造肥料王子工場専用線(須賀線)
概要:大日本人造肥料(現・日産化学工業)王子工場の専用線として大正15年9月22日に開通、昭和2年12月20日に国有化された貨物線で、田端操車場から王子駅を経て須賀駅(すかえき)を結んでいました
昭和46年3月1日に廃止
遺構:王子四丁目公園のカーブする道路がかつての須賀線の廃線跡

王子四丁目公園(須賀線廃線跡)

東京都北区王子4丁目にある北区立の公園が、王子四丁目公園。敷地が細長く、弧を描いてカーブするのは、廃線跡を利用した公園だから。田端操車場から王子駅を経て須賀駅(すかえき)まで、貨物線の須賀線が走っていました。昭和46年3月1日に廃止された須

東京陸軍兵器補給廠線(赤羽緑道公園)|北区

場所:東京都北区赤羽台3-8~赤羽西5-8
線名:東京陸軍兵器補給廠線
概要:明治41年、赤羽停車場(現・赤羽駅)の北側で東北本線と分岐し、板橋兵器庫(後の東京陸軍兵器補給廠)までの軍用鉄道(東京陸軍兵器補時代の正式名は東京兵器補給廠線)が開通
軍用線は戦後、アメリカ軍がそのまま使用し、朝鮮戦争で使用の物資運搬などにも使用されましたが、昭和20年代後半に廃止
遺構:終点の兵器庫があった場所は、赤羽自然観察公園に
東北本線との分岐点の少し先から、陸軍被服本廠への引込線分岐の手前の間の廃線跡が、赤羽緑道公園として整備

赤羽緑道公園

東京都北区赤羽台、北区立赤羽台公園の南側に東西1kmにわたって続く細長い緑道が、赤羽緑道公園。実は、戦前は、軍用鉄道だった廃線跡を公園にしたもの。陸軍被服本廠(りくぐんひふくほんしょう)の兵器庫と東北本線を結んでいました。軍都・赤羽にあった

東京都港湾局専用線(晴海線)|中央区・江東区

場所:東京都中央区・江東区
線名:東京都港湾局専用線(晴海線)
概要:国鉄越中島支線(総武本線の貨物支線)の越中島駅(現・越中島貨物駅)と豊洲石炭埠頭を結ぶ深川線(東京都港湾局専用線/昭和28年7月20日開業)から分岐し、晴海埠頭までを結ぶ東京都港湾局の貨物線が晴海線
遺構:昭和32年11月26日に架橋された鉄道橋の晴海鉄道橋が現存、晴海橋梁として2025年度から遊歩道に転用
東京BRT(東京都心と臨海副都心を結ぶバス・ラピッド・トランジット路線)の晴海BRTターミナルは、晴海機関区の跡地

晴海橋梁 (旧晴海鉄道橋)

東京都中央区晴海と江東区豊洲の間を流れる晴海運河に架かる橋が、晴海橋梁 (旧晴海鉄道橋)。昭和32年11月26日に架橋された東京都港湾局専用線(晴海線)の鉄道橋(晴海鉄道橋)で、平成元年2月10日に廃線に。耐震補強工事が行なわれ、遊歩道への

晴海BRTターミナル

東京都中央区晴海2丁目、晴海トリトンスクエアの東、晴海通り沿いにあるのが、晴海BRTターミナル。晴海BRTターミナル〜勝どきBRT〜新橋~虎ノ門ヒルズを結ぶ東京BRT(とうきょうびーあるてぃー)の起点となるバスターミナルで、東京テレポートま

東海道本線貨物支線|港区

場所:東京都中央区
線名:東海道本線貨物支線
概要:汐留駅(貨物駅、当初の新橋駅跡地)と東京市場駅(築地市場)を結んでいた東海道本線の貨物支線
昭和10年の東京市中央卸売市場・築地市場の開場(日本橋魚河岸などが関東大震災で焼失が契機)に合わせて敷設されたもので、鉄道輸送からトラック輸送への転換を経て、昭和62年1月31日に廃線に
遺構:廃線後、貨物支線の跡地は道路に転用され、都道316号との交点にあった浜離宮前踏切の警報機のみが、地元銀座御門通り会、銀座金春通り会の要望でモニュメントとして保存

浜離宮前踏切跡

東京都中央区銀座8丁目、浜離宮恩賜庭園の北側にあるのが、浜離宮前踏切跡。汐留駅(貨物駅、当初の新橋駅跡地)と東京市場駅(築地市場)を結んでいた東海道本線の貨物支線の踏切跡。昭和62年1月31日に廃線になった後も、モニュメントとして踏切警報機

都電砂町線(亀戸緑道公園・大島緑道公園・南砂緑道公園)|江東区

場所:東京都江東区
線名:都電砂町線
概要:都電砂町線の前身は、大正9年開業の城東電気軌道(城東電車)で(水神森までは小松川線と同じ軌道)、昭和13年4月25日には東京地下鉄道と合併し、昭和17年2月1日に東京市電気局に買収され、昭和47年に廃線になるまで都電砂町線として活躍した路線
遺構:都電38系統(錦糸堀車庫〜亀戸駅前〜竪川通〜永代橋〜日本橋)、29系統が走った専用軌道跡を使って、亀戸緑道公園、大島緑道公園、南砂緑道公園が整備され、亀戸緑道公園〜大島緑道公園〜(この間は明治通りの歩道歩き)〜南砂緑道公園と東京23区内では最長レベルとなる都電廃線跡歩きができるコースに

亀戸緑道公園(都電砂町線廃線跡)

東京都江東区亀戸6丁目にある0.21haの公園が、亀戸緑道公園。JR総武線亀戸駅東口から、まっすぐに南続く緑道が、亀戸緑道公園。昭和47年に廃止された都電砂町線の車道併設の専用軌道跡(廃線跡)を公園にしたもので、昭和53年4月1日に開園。そ

大島緑道公園(都電砂町線廃線跡)

東京都江東区大島、JR総武線亀戸駅東口近くから始まる亀戸緑道公園から南に続く緑道が、大島緑道公園。昭和47年に廃止された都電砂町線の専用軌道跡(廃線跡)を公園にしたもので、昭和53年4月1日に開園。明治通りから先、南に続く南砂緑道公園も同じ

南砂緑道公園(都電砂町線廃線跡)

東京都江東区南砂2丁目にある0.13haの公園が、南砂緑道公園。昭和54年4月1日に開園した公園で、その名の通りソメイヨシノなどが植栽された緑道になっています。もともとは都電38系統(錦糸堀車庫〜亀戸駅前〜竪川通〜永代橋〜日本橋)、29系統

都電大久保車庫引込線(新宿遊歩道公園「四季の路」)|新宿区

場所:東京都新宿区歌舞伎町1-1
線名:都電大久保車庫引込線
概要:当初は都電13系統(新宿駅前~水天宮前)が走り、昭和23年12月25日に靖国通りへと軌道が移された後には、靖国通りの軌道から大久保車庫に向かう引込線として使用された専用軌道
遺構:昭和45年、新宿エリアの都電が廃止となり、都電の引込線専用軌道敷跡を利用して、昭和49年6月24日、全長260m、0.23haの新宿遊歩道公園「四季の路」が誕生

新宿遊歩道公園「四季の路」

東京都新宿区、新宿区役所近くに整備されているのが、新宿遊歩道公園「四季の路」。うねりながら細長く続く遊歩道は、かつての都電の軌道跡。当初は都電13系統(新宿駅前~水天宮前)が走り、昭和23年12月25日に靖国通りへと軌道が移された後には、靖

国鉄下河原線(下河原緑道)|府中市

場所:東京都府中市
線名:国鉄下河原線
概要:明治43年、多摩川の砂利を運搬する目的で東京砂利鉄道として開業、大正9年に国有化され、昭和8年に東京競馬場の開設に伴って東京競馬場前駅が開業
昭和48年4月1日、武蔵野線府中本町駅〜新松戸駅間開業に伴い、国分寺駅〜北府中駅〜東京競馬場前駅間(5.6km)廃止、昭和51年9月20日、武蔵野線貨物支線北府中駅〜下河原駅間(3.8km)廃止
遺構:甲州街道沿いにある下河原線広場公園(府中市寿町3丁目)を起点に、八幡神社(府中市南町4丁目)まで廃線跡に下河原緑道が整備
東京競馬場前駅跡周辺には矢崎町防災公園があります

下河原緑道(国鉄下河原線廃線跡)

東京都府中市、昭和51年9月に廃線となった国鉄下河原線廃線跡を緑道にしたのが、下河原緑道(しもがわらりょくどう)。国分寺駅〜東京競馬場前駅の旅客線、途中で分岐し、下河原駅までの貨物線があり、廃止後は住宅地と緑道に転用され、廃線跡歩きが楽しめ

東京の廃線跡を歩こう! 全12線
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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