松山城二之丸史跡庭園・大井戸遺構

伊予松山藩2代城主・蒲生忠知(がもうただちか)の治世(1627年~1634年)に完成下と伝えられる二之丸。政庁である表御殿と、藩主やその家族の生活の場である奥御殿に分かれていましたが、表御殿跡にあるのが大井戸遺構。生活用水というよりも防火用水として機能していたと推測できます。

松山城山の雨水を防火用水に利用

昭和59年、松山市教育委員会の発掘調査で、確認されたのが大井戸の遺構。
東西18m、南北13m、深さ9mという巨大な石積みの井戸で、井戸の東半分には表御殿の邸がかぶさっていたことが判明しています。

防火用水を運び出すときに便利なように、石組の一部は階段状になっていました。
現在は露出展示されており、松山城山の雨水が今も湧出しています。

松山城二之丸史跡庭園・大井戸遺構
名称松山城二之丸史跡庭園・大井戸遺構/まつやまじょうにのまるしせきていえん・おおいどいこう
所在地愛媛県松山市丸之内5
関連HP松山城公式ホームページ
電車・バスでJR松山駅から道後温泉行き伊予鉄道市内電車で10分、大街道下車、徒歩5分
ドライブで松山自動車道松山ICから約6km
駐車場二之丸史跡庭園専用駐車場(31台/無料)・松山城駐車場(20台/有料)・松山市役所前地下駐車場(290台/有料)
問い合わせ二之丸・堀之内管理事務所 TEL:089-921-2000/FAX:089-921-2134
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
松山城

松山城

愛媛県松山市街の中心、標高131.4mの勝山に建つ松山城は、秀吉の家臣で賤ヶ岳合戦の「七本槍」の一人、加藤嘉明(かとうよしあきら)が25年の歳月を費やし寛永4年(1627年)に築城した平山城。天守など21棟が現存し、国の重要文化財に指定され

松山城二之丸史跡庭園

伊予松山藩2代藩主・蒲生忠知(がもうただとも)が築いた邸宅跡を庭園としたのが松山城二之丸史跡庭園。絵図を基に、邸宅の間取りと庭園を再現しています。松山城は、山上にあり、太平の世には不便であることから、伊予松山藩の政庁としての役割を果たした表

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