松山城・天神櫓

松山城の天守が建つ本壇(天守曲輪)の東北に位置する櫓が天神櫓。卯歳櫓、東隅櫓とも呼ばれ、最終決戦に備え甲冑や鎧兜を保管する具足櫓だったもの。城主である松平家の遠祖にあたる菅原道真を祀ったため天神櫓という名が付いていますが、寺社建築の正面扉様式(蔀戸/しとみど)を有するのもそのため。入口から見ると神社のような佇まいです。

久松松平家の遠祖、菅原道真を祀る櫓

実戦では本丸の東北に位置する艮門(うしとらもん)の戦況を把握する大切な役目をも担っていました。
天神櫓は昭和54年の再建。

松山城本壇MAP

藩主・松平定勝と菅原道真、徳川家康との関係は!?

讃岐守(さぬきのかみ)をも任じたことのある菅原道真。
室町時代に菅原道定が尾張国知多郡阿古居(現・愛知県知多郡阿久比町)に下り、久松姓を名乗ったのが久松家の始まりという。
家康の母・於大の方は、松平竹千代(徳川家康)3歳の際に久松俊勝と再婚し、松平定勝(久松定勝=久松松平家の祖、松山城の東雲神社に祀られる)を産んでいます。
つまりは家康と異父兄弟であるため、松平姓を名乗り、久松松平家と称されているのです。
初代藩主・松平定行は於大の方の孫、つまりは家康の甥にあたります。

松山城・天神櫓
名称松山城・天神櫓/まつやまじょう・てんじんやぐら
所在地愛媛県松山市丸之内1
関連HP松山城公式ホームページ
電車・バスでJR松山駅から道後温泉行き伊予鉄道市内電車で10分、大街道下車、徒歩5分
ドライブで松山自動車道松山ICから約6km
駐車場松山城駐車場(20台/有料)・松山市役所前地下駐車場(290台/有料)
問い合わせ松山城総合事務所 TEL:089-921-4873
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
松山城

松山城

愛媛県松山市街の中心、標高131.4mの勝山に建つ松山城は、秀吉の家臣で賤ヶ岳合戦の「七本槍」の一人、加藤嘉明(かとうよしあきら)が25年の歳月を費やし寛永4年(1627年)に築城した平山城。天守など21棟が現存し、国の重要文化財に指定され

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