松山城・乾櫓

松山城本丸の乾(いぬい=北西)を守るの隅櫓が乾櫓(いぬいやぐら)。天守の建つ本壇(天守曲輪)の西に位置し、乾櫓・乾門・乾門東続櫓で、大手の搦手(からめて=裏側)を守っています。石落しを設け、弾丸が壁を貫くことがないように壁の内部に小石や瓦を詰めて厚くするなど実戦的な構造に。

本丸の乾(北西)の方面を守る隅櫓は現存最古の建物

乾櫓(左)と野原櫓は本丸搦手の防御の拠点

北麓の北の郭からの登城道(古町口登城道)が本丸に達する場所に位置するのが乾櫓。
築城に際し旧正木城から移築したと伝えられますが、高い石垣の上への移築は技術的にも困難と思われることから、加藤嘉明(かとうよしあきら)が慶長年間(1596年~1614年)に造営したものと推測されています。

1768年~1769年(明和5年〜6年)と昭和39年に解体修理が行なわれています。
現存する城内の建造物で最古のものであり、国の重要文化財に指定。

奥から乾櫓、乾門東続櫓櫓・東折曲塀

松山の名付け親でもある加藤嘉明
松山城を築いた加藤嘉明は、1563(永禄6)年、三河国幡豆郡永良郷(現・愛知県西尾市上永良町)の生まれ。
父は松平家康(徳川家康)の家臣でしたが、三河一向一揆で一揆衆に与して家康に背いて、父子ともども流浪の身に。
その後、親子して長浜城主・羽柴秀吉に仕え、加藤嘉明は1578(天正6)年3月、秀吉軍に従って三木城攻囲に参加して初陣を飾っています。
賤ヶ岳の戦いでは「賤ヶ岳七本槍」として数えられる活躍。
関ヶ原の戦いでは東軍として参戦し、1601(慶長6)年、家康に勝山城(後の松山城)建築の許可を得て、翌年から築城を開始。
1603(慶長8)年、加藤嘉明は本拠地を正木から勝山に移し、勝山を松山と改名しています。


 

松山城・乾櫓 DATA

名称 松山城・乾櫓/まつやまじょう・いぬいやぐら
所在地 愛媛県松山市丸之内1
関連HP 松山市城山公園ホームページ
電車・バスで JR松山駅から道後温泉行き伊予鉄道市内電車で10分、大街道下車、徒歩5分
ドライブで 松山自動車道松山ICから約6kmで松山市二番町駐車場
駐車場 224台(松山市二番町駐車場)/有料、ロープウェイ・リフトを利用の場合は松山城駐車場(64台/有料)が至近
問い合わせ 松山城総合事務所TEL:089-921-4873
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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