松山城・乾門

松山城本丸の搦手(からめて=裏口)に位置するのが乾門(いぬいもん)。乾とは方角を表す言葉で、北西の意。乾櫓と乾門東続櫓に守られるような構造で、搦手の門の中で、最も重要な門となっています。かつては、乾門の前に乾一の門がありましたが、今では失われています。

本丸搦手(裏口)を守る重要な門

築城の際、加藤嘉明の居城だった正木城(伊予松前城)から移建されたと伝えられますが、実際は定かでありません。乾門は、乾門東続櫓とともに昭和20年7月26日深夜から翌未明にかけてのB−29大編隊による松山大空襲の焼夷弾で焼失。
現在の門は昭和57年の再建です。

乾門をくぐり右に折れると本壇(天守曲輪)で、紫竹門がその入口を守っています。

松山城・乾門
名称松山城・乾門/まつやまじょう・いぬいもん
所在地愛媛県松山市丸之内1
関連HP松山城公式ホームページ
電車・バスでJR松山駅から道後温泉行き伊予鉄道市内電車で10分、大街道下車、徒歩5分
ドライブで松山自動車道松山ICから約6km
駐車場松山城駐車場(20台/有料)・松山市役所前地下駐車場(290台/有料)
問い合わせ松山城総合事務所 TEL:089-921-4873
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
松山城

松山城

愛媛県松山市街の中心、標高131.4mの勝山に建つ松山城は、秀吉の家臣で賤ヶ岳合戦の「七本槍」の一人、加藤嘉明(かとうよしあきら)が25年の歳月を費やし寛永4年(1627年)に築城した平山城。天守など21棟が現存し、国の重要文化財に指定され

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