正岡子規生誕の地

正岡子規生誕の地

俳人、歌人の正岡子規(まさおかしき)は、慶応3年9月17日(1867年10月14日)、伊予国温泉郡藤原新町(現・愛媛県松山市花園町)で、松山藩士(御馬廻加番)の正岡常尚と八重の間に誕生。幼名は処之助で、4〜5歳の頃、「升」に改めています。生誕の地には「正岡子規誕生邸址」碑が立っています。

禄高50俵の正岡家の屋敷があった地

正岡子規が生まれた幕末当時は、禄高50俵ほどの武士の屋敷で、竹の枯枝を結んだ垣根があり、垣の内には、サンゴジュの植え木が並んでいとか。

正岡子規が生まれた翌年、一家は湊町新町(現在の松山市湊町4-1)、山内与兵衛の屋敷に転居しています。
母は松山藩儒者・大原有恒(観山)の長女・八重で、祖父・大原観山は、幼少時から漢詩文を訓育し、正岡子規の文人たる素養を育てています。

湊町新町の家では2歳から17歳まで暮らしていますが、その家も正岡子規旧邸跡の碑が残るのみです(子規の勉強部屋などは子規堂に復元されています)。

正岡子規生誕の地
開催日時 正岡子規関連のスポットを入れてください
名称 正岡子規生誕の地
所在地 愛媛県松山市花園3
電車・バスで 伊予鉄道松山市駅から徒步2分
ドライブで 松山自動車道松山ICから約6km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 松山観光コンベンション協会 TEL:089-935-7511
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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