三津きせんのりば碑・正岡子規句碑

三津きせんのりば碑・正岡子規句碑

愛媛県松山市三津にある、明治時代、松山、そして四国の玄関港として栄えた三津浜港にあるのが三津きせんのりば碑・子規句碑。当時の三津浜港は水深が浅かったため、沖に停泊する汽船まで艀(はしけ)で行き来しましたが、その艀が発着したのが三津きせんのりば跡です。

夏目漱石、正岡子規も三津浜港から旅立った!

「きせんのりば」、「きせんとゐや久保田」と記された「きせんのりばの碑」は、明治4年、艀を運航する窪田(久保田)廻漕店が建立したもの(もともとは、現在の三津3丁目4にありましたが、現在地に移築)。
乗り場があった当時は、「くぼたの浜」と呼ばれる海水浴ができる砂浜が広がっていました(現在は宅地化されています)。

明治28年、愛媛県尋常中学校(旧制松山中学、現在の松山東高校)に英語教師として赴任した夏目漱石(なつめそうせき)も、この「三津きせんのりば」に松山での第一歩を踏み、ここから次の熊本へと移っています(松山滞在中の経験をもとにしたのが有名な小説『ぼっちゃん』)。

大学予備門予科で同窓だった正岡子規も、この「三津きせんのりば」で故郷を離れ、東京に出たのです。
「きせんのりばの碑」の横に、「十一人一人になりて秋の暮」という正岡子規の句碑が建立されています。
正岡子規は従軍記者として日清戦争従軍後、帰途の船中で結核による喀血で倒れ、須磨保養院で療養後、明治28年8月25日、松山に帰郷し、8月27日には漱石の「愚陀佛庵」に移り、10月17日までの52日間を「愚陀佛庵」で仮寓しています。
子規とはホトトギスのことで、「鳴いて血を吐く」ホトトギスと喀血した自分を重ねて、自分の俳号にしたのです。

明治28年10月19日に再度、上京することが決まり、10月12日に「花廼舎」の広間で送別会が開かれ、正岡子規は「窪田(久保田)廻漕店」に宿泊、10月18日に送別の句を交換し、夏目漱石が「御立ちやるか御立ちやれ新酒菊の花」と贈ったことに対し、子規が「十一人一人になりて秋の暮」と返しています。
松山を発った子規は、宇品、須磨、大阪、奈良を経て東京に戻っていますが、法隆寺では有名な「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」(10月26日)の句を残しています。

現在の三津浜港は、柳井港(山口県柳井市)、伊保田港(山口県大島郡周防大島町)への防予フェリーが出航し、当時のように宇品桟橋(広島県広島市)への航路はありません(広島港へは松山観光港から出航)。

三津きせんのりば碑・正岡子規句碑
名称 三津きせんのりば碑・正岡子規句碑/みつきせんのりばひ・まさおかしきくひ
所在地 愛媛県松山市三津1-6
電車・バスで 伊予鉄道三津駅から徒步15分
ドライブで 松山自動車道松山ICから約14km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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