愛媛県松山市中須賀3丁目に立つのが、ポンジュース発祥の地碑。住宅街の一画ですが、石碑が立つ場所は、ポンジュースを製造・販売するえひめ飲料の前身、愛媛県青果農業協同組合連合会の三津工場(みつこうじょう)跡地で、昭和27年12月、この場所でポンジュースが製造を開始したのです。
ポンジュース第1号を生産した三津工場跡
日本の果実飲料産業は、第二次世界大戦後、進駐軍がアメリカ産の果実飲料をもたらしたこと、さらに昭和22年に新しい食品衛生法が施行されたことがきっかけ。
愛媛県青果農業協同組合連合会の会長・桐野忠兵衛(きりのちゅうべえ/日本果汁農協連合会会長)は、昭和26年、新しい果樹産業の進路開拓を求めて、果樹先進国であるアメリカ、カナダの視察に出かけます。
アメリカ、カナダでの果実を使ったジュースの普及率の高さに驚くとともに、フロリダ州では、世界屈指のジュース工場を見学し、大規模な工場生産に目を見張ります。
その視察で、国産のミカンの消費の方法も工夫次第で新たな道が描けると判断、果実加工事業に踏み切ったのです。
昭和27年、全国に先駆けて、愛媛県青果連のジュース工場として、三津工場を建設。
愛媛県特産品、温州ミカンを使ったポンジュース(180ml瓶入り)の生産が開始されたのです。
当時、国内に流通するジュースといえば、バヤリースオレンジジュースでしたが、これは無果汁で、着色料で色付けした飲料。
販売したポンジュース第1号は果汁が20%でしたが、当時としては画期的なジュースでした(果汁100%のポンジュースは昭和42年から生産)。
当時の宣伝ポスターには「ニッポンで生まれて世界に輝くポンジュース」とありますが、流通を開拓し(当時は酒屋がジュースを販売)、一般家庭に届くようになるまでには多くの苦労が横たわっていたのです。
ポンジュースの名付け親は、愛媛藩主の末裔でもある当時の愛媛県知事・久松定武(ひさまつさだたけ/「萬翠荘」の命名者)。
日本一のジュースになるようにという願いを込めて、ニッポンのポンでポンジュースと命名(フランス生活の経験もある久松知事が、「ボンジュール」から採用というボンジュール説もあります)。
Pomelo(文旦)やPomology(果樹栽培法)など、かんきつに縁の深い「POM」というつづりをあえて採用し、今もトレードマークは「POM」になっています。
多くの先人が「ニッポンで生まれて世界に輝くポンジュース」の製造に苦労した歴史を後世に残すため、平成6年5月18日に設置されたのが、ポンジュース発祥の地碑。
ポンジュース発祥の地碑 | |
名称 | ポンジュース発祥の地碑/ぽんじゅーすはっしょうのちひ |
所在地 | 愛媛県松山市中須賀3-11 |
関連HP | えひめ飲料公式ホームページ |
電車・バスで | 伊予鉄道三津駅から徒歩3分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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