愛媛県今治市、日本三大水城に数えられ、日本100名城にも選定の今治城(現・今治城吹公園)。博物館となっている模擬天守前に立つのが、藤堂高虎公像(とうどうたかとらこうぞう)。関ヶ原の合戦後に今治を領有した藤堂高虎は、新たな居城として今治城を築城しています。
今治城三の丸広場に立つ築城主・藤堂高虎の像
黒田孝高(くろだよしたか=黒田官兵衛)、加藤清正と並び「築城三名人」のひとり、藤堂高虎。
藤堂高虎は関ヶ原の合戦では東軍に与し、その軍功で宇和島城8万石の安堵に加え、今治12万石が加増され、合計20万石の大名となります。
宇和島城は従弟(いとこ)の藤堂良勝(とうどうよしかつ=高虎の母・とらの妹婿、大坂夏の陣で戦死)を城代にして、自らは居城として今治城を築城しています。
明治維新後に建造物のほとんどが取り壊され、内堀と主郭部の石垣を残すのみですが、櫓や城門の再建が進められています。
寛政年間(1789年〜1801年)に幕府が編纂した『寛政重修諸家譜』(かんせいちょうしゅうしょかふ)によれば、天守は「慶長十五年丹波口亀山城普請のことうけたまわり、且今治の天守をたてまつりて、かの城にうつす」と記されています。
つまり、藤堂高虎が亀山城に転封となった際、今治城の天守を移設したと記されていることから、慶長15年(1610年)以降は天守が存在しなかった可能性が大です(地盤が砂地で、天守台の遺構もありません)。
現在の天守は、歴史的な考証のない模擬天守ですが、藤堂高虎公像と模擬天守とのツーショットは定番の被写体になっています。
藤堂高虎公像は、平成16年、今治城築城・開町400年祭記念事業として建立されたもの(鉄御門と門を挟んだ東西の多聞櫓も、400年祭記念事業で平成19年に再建)。
ブロンズ像の制作は彫刻家・中村晋也で、富山県高岡市の竹中銅器(竹中製作所)の鋳造。
像高3.5m、重量3.5tという巨像です。
藤堂高虎の像は、今治城のほか、津城公園(三重県津市)にも立っています。
藤堂高虎は、慶長13年(1608年)、伊予20万石から伊勢・伊賀22万石に転封され、津城を大改築、城下町を整備しています。
「伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と伊勢音頭に謡われた津の基盤を築いているので、津城跡に銅像が立っていますが、今治市と津市が2大ゆかりの地ということに。
今治城・藤堂高虎公像 | |
名称 | 今治城・藤堂高虎公像/いまばりじょう・とうどうたかとらこうぞう |
所在地 | 愛媛県今治市通町3-1-3 |
関連HP | 今治城公式ホームページ |
電車・バスで | JR今治駅からせとうちバス今治営業所行きで7分、今治城前下車 |
ドライブで | 西瀬戸自動車道今治ICから約4.6km |
駐車場 | 41台/有料 |
問い合わせ | 今治城 TEL:0898-31-9233/FAX:0898-31-9235 |
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