かつての清洲城の城跡は東海道本線と東海道新幹線によって南北に分断されていますが、南側の城跡が清洲公園(北側が清洲古城跡公園)。「清洲村古城地図」をもとに、清洲城本丸・天守台の地域の保存を目的として大正11年に開園した都市公園で、織田信長公像が立っています。
清洲城本丸、天守台跡が公園に
江戸時代には尾張藩が清洲城址として保存し、明治時代に宮内省付属地、さらに県有地として保存されたのはこの地が郷土の英雄・信長の出身地だから。
織田信長公像は、信長26歳の1560(永禄3)年、小勢ながら今川義元を破った桶狭間の合戦に出陣する姿を模した銅像で、視線の先は桶狭間(おけはざま=愛知県豊明市ほか)なのだとか。
平成24年の夏、銅像の脇に濃姫像が移設されています。濃姫(のうひめ)は、美濃国の戦国大名・斎藤道三(さいとうどうざん=斎藤秀龍)の娘で、政略結婚で尾張国に嫁ぎました。
一帯は、「始まりの地~二人の愛と希望の丘」と称し、夫婦円満、恋愛、立身出世、必勝祈願のパワースポットとなっています。
横を流れる五条川は、清洲城の天然の堀の役割をしていました。
残念ながら清洲城には発掘調査で復元された本丸石垣を除いて遺構はありませんが、名古屋城築城の際に移されたとされる名古屋城西北隅櫓は清洲城の遺構として知られています。
新幹線などに分断された北側は清洲古城跡公園で実際の天守台は古城跡公園の場所にありました。
清洲古城跡公園には信長を祠る小社も建ち、6月2日の信長命日には、社前で『織田信長公顕彰祭』が齋行されています。
清洲公園・清洲古城跡公園 | |
名称 | 清洲公園・清洲古城跡公園/きよすこうえん・きよすこじょうせきこうえん |
所在地 | 愛知県清須市清洲3-7-1 |
関連HP | 清須市公式ホームページ |
電車・バスで | JR清洲駅、または、名鉄新清洲駅から徒歩15分 |
ドライブで | 東名阪自動車道清洲東ICから約2km |
駐車場 | 清洲城駐車場(120台/無料) |
問い合わせ | 清須市産業課 TEL:052-400-2911 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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