信長ゆめ広場・黄金の信長公像

信長ゆめ広場・黄金の信長公像

岐阜県岐阜市、JR岐阜駅北口広場(岐阜駅の岐阜城側)に整備された信長ゆめ広場(中央広場)に置かれているのが、岐阜のシンボルともいえる黄金の信長公像。平成21年、岐阜市制120周年を記念して「信長公の銅像を贈る会」が設置したもの。

JR岐阜駅前に立つ凛々しい織田信長像

信長ゆめ広場・黄金の信長公像


織田信長はマントを羽織り、左手には西洋兜、右手には種子島(火縄銃)を持っている姿で、像高は、台座を含め11mの巨大信長像、信長自身は3mになります。
制作は富山県高岡市出身で、全国の有名人を手掛ける彫刻家・田畑功(たばたいさお)。
戦国武将だけでも、前田利家騎馬像(愛知県名古屋市中川区・荒子駅前)、尼子経久像(島根県安来市・三日月公園)、細川忠興・玉(ガラシャ)夫妻像(京都府長岡京市・勝龍寺城)、上杉鷹山像(山形県米沢市・上杉鷹山公園)と数ある像を手掛けていますが、インパクトでいえば、織田信長にはかないません。

顔の雰囲気は、三宝寺(山形県天童市)に寺宝として伝わる織田信長の肖像画に似た感じです(信長の死後、宣教師によって描かれた細密な肖像画を明治になってから複写したもので、信長にもっとも似ていると語り伝えられています)。
眉毛が濃く、眼光鋭く、鼻下に八字髭を蓄え威厳堂々とした姿は、信長の一周忌に信長に仕えていた余語久三郎正勝が報恩のため狩野元秀に描かせた肖像画、国の重要文化財「紙本著色(しほんちゃくしょく)織田信長像」(愛知県豊田市・長興寺蔵)と同じです。

予算3000万をオーバーしながらも(募金でカーバーし)、燐青銅の像に金箔が3層になっているという手の込んだ造りで、色褪せることなく、輝き続ける仕組み。

黄金の織田信長公像の前の広場はコンサートなどに活用できる仕組で、信長の足元がステージという構成。
よく見ると信長ゆめ広場を取り囲むようにスピーカーも設置されています。
引きが十分にあるので、様々なアングルでの記念撮影が可能で、SNSでも人気のポイントに。
名古屋方面から名鉄利用の場合は、名鉄岐阜駅からは5分ほど歩く必要があるのでご注意を。

岐阜駅北口広場にはかつて市内電車(路面電車)としても活躍した丸窓電車モ513も置かれ、人気を集めています。

ちなみに織田信長像が岐阜駅に立つのは、肥沃な濃尾平野を平定し、この地で「天下布武」を掲げて、天下取りを目指したから。
愛知県清須市の清洲公園に立つ織田信長公銅像は、濃姫と一緒の像で、桶狭間の戦いに出陣する姿を模した若き日の銅像です。

信長ゆめ広場・黄金の信長公像
信長ゆめ広場・黄金の信長公像
名称 信長ゆめ広場・黄金の信長公像/のぶながゆめひろば・おうごんののぶながぞう
所在地 岐阜県岐阜市橋本町1-100
関連HP 岐阜観光コンベンション協会公式ホームページ
電車・バスで JR岐阜駅から徒歩すぐ、名鉄新岐阜駅から徒歩5分
ドライブで 東海北陸自動車道岐阜各務原ICからから約8km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 岐阜観光コンベンション協会 TEL:058-266-5588/FAX:058-266-5995
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

清洲公園・清洲古城跡公園

かつての清洲城の城跡は東海道本線と東海道新幹線によって南北に分断されていますが、南側の城跡が清洲公園(北側が清洲古城跡公園)。「清洲村古城地図」をもとに、清洲城本丸・天守台の地域の保存を目的として大正11年に開園した都市公園で、織田信長公像

丸窓電車モ513(岐阜駅北口駅前広場)

丸窓電車モ513(岐阜駅北口駅前広場)

岐阜県岐阜市橋本町1丁目、JR岐阜駅北口広場に置かれているのが、丸窓電車モ513。大正15年にモ510形として5両製造されたうちの1両で、名鉄600V線区が全廃された平成17年まで車籍があり、「丸窓電車」としてイベントなどで引っ張りだこだっ

 

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