愛知県名古屋市瑞穂区土市町にある小さな社が嶋川稲荷。その一帯が治承3年(1179年)、平清盛の起こした軍事政変(治承三年の政変)で尾張国に配流となった藤原師長(ふじわらのもろなが)が、邸宅を構えた藤原師長謫居跡(ふじわらもろながたっきょあと)です。
藤原師長は平清盛と衝突して井戸田に配流
左大臣・藤原頼長(ふじわらのよりなが)の長男である藤原師長は、仁平元年(1151年)には14歳の若さで参議として公卿に列せられるという出世の道を歩みます。
父・藤原頼長が保元の乱の首謀者(頼長は保元の乱で敗死)となった罪で土佐配流となりますが、罪を赦されて京に戻り、後白河法皇の信任を受けて太政大臣に昇進。
治承3年(1179年)、平清盛の起こした軍事政変(治承三年の政変)で尾張国井戸田庄(現在の瑞穂区一帯)に配流となっていますが、邸宅を構えたのが現在の瑞穂区にある嶋川稲荷の地。
源頼朝は久安3年(1147年)、熱田神宮大宮司の藤原季範の娘・由良御前を母として熱田に産まれていますが、実は、由良御前の兄2人は後白河法皇を警護する北面の武士だったことから、藤原師長の配流も熱田神宮との関わりがあったと推測されます。
藤原師長は3年後に帰京を許され建久3年(1192年)、55歳で没していますが、妙音院が院号。
地元でもあまり知られていないが妙音通という通りの名は琵琶の名手だった藤原頼長の院号に由来しているのです(昭和20年に命名)。
また、藤原師長謫居跡(嶋川稲荷)近くの龍泉寺に湧く亀井水は、源頼朝の産湯の井戸だと伝承されており、平安時代末期の激動の歴史をひっそりと今に伝えているのです。
亀井の井戸に代表される水質の良い井戸が多くあったことが井戸田という地名の由来。
藤原師長謫居跡(嶋川稲荷) | |
名称 | 藤原師長謫居跡(嶋川稲荷)/ふじわらもろながたっきょあと(しまかわいなり) |
所在地 | 愛知県名古屋市瑞穂区土市町1 |
電車・バスで | 地下鉄名城線妙音通駅から徒歩2分 |
ドライブで | 名古屋高速大高線堀田出口から約2km |
駐車場 | なし |
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