三河湾に面した吉良領饗庭(きらりょうあいば)地区(現・愛知県西尾市吉良)は、江戸時代に塩田による塩の生産が盛んで、にがり分が少なく良質な「饗庭塩」(あいばじお)として流通していました。その製塩の歴史と技術を今に伝えるのが西尾市塩田体験館 吉良饗庭塩の里(きらあいばじおのさと)です。
吉良の製塩と歴史を今に伝える施設
戦国時代に始まった吉良の製塩。
江戸時代には干拓地に大規模な入浜式塩田が築かれました。
岡崎の名高い八丁味噌に使われたり、知多のたまり製造にも活用されていました。
三河・知多一円だけでなく、中馬街道を使って、足助(あすけ)から伊那谷・飯田へと運ばれ、吉良の特産になっていました。
吉良饗庭塩の里の塩田体験館では、復元した入浜式の塩田を使って昔ながらの塩田で太陽の熱と風の力を利用した塩づくり(塩田で採った濃い海水をコンロで煮詰めて塩にし、100ccの濃い海水から、20gの塩が誕生)が体験可能です(イベント時は個人参加が可能、その他の場合は10名以上で要予約)。
展示室(吉良歴史民俗資料館)では製塩業に関する展示のほか、西三河最大級の前方後円墳である正法寺古墳や、岩場古墳出土の円筒棺、若宮1号墳出土の四獣形鏡、炭焼古墳出土の銀象嵌大刀などの古墳出土品、赤穂事件(『忠臣蔵』)で有名な吉良義央(きらよしひさ)に関する資料などを展示しています。
また、敷地内には西尾市吉良町岡山にあった岩谷山第1号墳(いやだにやまだいいちごうふん=岡山丘陵の西端に7世紀築造の円墳)が移築保存されています。
昭和57年放映のNHK大河ドラマ『峠の群像』(堺屋太一原作)では、製塩の技術導入を赤穂藩に打診した際に拒絶され、その怨恨から浅野長矩に恥をかかせたのが江戸城・松の廊下殺傷事件(『忠臣蔵』)の原因としていますが、実は三河湾の塩は地元と南信地区の流通が大部分で、吉良義央が赤穂藩から製塩技術を導入して大規模な製塩事業を行おうとしたという根拠はありません。
江戸時代の幡豆郡では、複雑に大名領・旗本領(吉良家は旗本です)などが村ごとに混在し、赤穂藩のような藩を挙げての製塩事業という状況ではなかったというのが「忠臣蔵塩田原因説」の反証になっています。
西尾市塩田体験館 吉良饗庭塩の里 | |
名称 | 西尾市塩田体験館 吉良饗庭塩の里/にしおしえんでんたいかんけん きらあいばじおのさと |
所在地 | 愛知県西尾市吉良町白浜新田宮前59-1 |
関連HP | 西尾市塩田体験館 吉良饗庭塩の里公式ホームページ |
電車・バスで | 名鉄蒲郡線吉良吉田駅から徒歩30分、三河鳥羽駅から徒歩40分。タクシーで7分 |
ドライブで | 伊勢湾岸自動車道豊明ICから約34km |
駐車場 | 23台/無料 |
問い合わせ | 西尾市塩田体験館 TEL:0563-32-3373/FAX:0563-32-3373 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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