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名古屋城・正門(榎多御門)

名古屋城・正門(榎多御門)

愛知県名古屋市中区、慶長20年(1615年)、徳川家康の命により天下普請(てんかぶしん)で築かれたのが名古屋城。国の特別史跡に指定され、天守、本丸御殿が再建されていますが、その正門となるのがかつての西之丸にある榎多御門(えのきだごもん)です。

大手門が正門と呼ばれるのは、名古屋離宮時代の名残り

本丸へ至る大手門(正門)だったため、二之丸に政庁機能が移って以降も、藩主、年寄職、城代、米蔵掛(西之丸の米蔵を管理)しか出入りできない格式高い門でした。

創建当初の門は、明治24年の濃尾大地震で大破したため、明治43年に旧江戸城内から蓮池御門を宮内省が移築し、「名古屋城正門」としています。
その移築した蓮池御門が名古屋大空襲で焼失し、両脇櫓台の石塁を残すのみとなりましたが、昭和34年の天守再建に伴い、玄関門として往時の外観を復元してコンクリートで再建。

本来は大手門という名のほうがわかりやすいのですが、名古屋城の本丸が、天守と本丸御殿の保存決定を受けて、陸軍の管理から宮内省の御料地に移され、明治26年から名古屋市に下賜される昭和5年の間は、「名古屋離宮」という準皇居扱いだったことから、それを踏襲して、名古屋市の管理になってからも「正門」と呼んだもの。
つまりは名古屋城ではなく、名古屋離宮時代の名残りということに。

名古屋離宮となった後も、本丸御殿には皇族の行幸啓が頻繁に行なわれ宿所となったことから、正門から本丸に至るルートは御成通路として機能し、名古屋市下賜後も本丸の天守・本丸御殿へのメインルートとして機能したので、正門と呼び続けたのです。

江戸時代の西之丸は、西北隅に月見櫓、西南隅に未申櫓があり、南側石垣上には榎多御門から続く多聞櫓が連なり、内部には一番蔵から六番蔵まで6棟の米蔵が並んでいました。
空き地部分は竹藪と芝地でした。
米本位制ともいえる時代だったので、西之丸は尾張藩における基本財産の貯蓄場所として厳重に管理されていました。

現在、正門をくぐった西之丸には、尾張藩の初代藩主で、初代の城主となった徳川義直(とくがわよしなお)が大坂の陣に出る際、戦勝を祈って、実を食事の膳に盛ったと伝えられる「必勝カヤの木」、西之丸にあった三番御蔵と四番御蔵の外観を再現した展示・収蔵施設「西の丸御蔵城宝館」があります。

名古屋城の有料エリアへの入口(観覧券発売所)は、正門、東門の2ヶ所で、見学にかかる所要時間は最低でも1時間〜1時間30分は必要です(正門から本丸御殿へは徒歩10分)。

往時の榎多御門
名古屋城・正門(榎多御門)
名称 名古屋城・正門(榎多御門)/なごやじょう・せいもん(えのきだごもん)
所在地 愛知県名古屋市中区本丸1
関連HP 名古屋城公式ホームページ
電車・バスで 名古屋市営地下鉄名古屋城駅から徒歩5分
駐車場 正門前駐車場(319台/有料)、二之丸東駐車場(202台/有料)
問い合わせ 名古屋城総合事務所 TEL:052-231-1700
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

名古屋城

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名古屋城 二之丸庭園

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名古屋城・西南隅櫓

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名古屋城・西北隅櫓

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名古屋城・清正石

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名古屋城・不明門

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名古屋城・御殿椿

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名古屋城・天守礎石

愛知県名古屋市中区、名古屋城の本丸・天守横の不明門(ふめいもん)から北に歩いた、御深井丸(おふけまる)エリアにあるのが、天守礎石。昭和20年5月14日の名古屋大空襲で、名古屋城天守は焼失。天守台にあった天守礎石は、昭和34年の天守再建の際に

 

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