愛知県新城市富保、昭和43年9月1日に廃止された豊橋鉄道田口線の駅跡が、三河大草駅跡(みかわおおくさえきあと)。片面ホーム1面1線の無人駅だった駅跡地が残されていますが、自然回帰が進み、不思議な空間が生まれています。乗車人員は豊橋鉄道田口線の全11駅中で最少の駅でした。
山中に残る1面1線のホーム跡が、不思議な雰囲気
昭和5年4月13日、飯田線・本長篠駅と三河田口駅(北設楽郡設楽町)を結ぶ田口鉄道の駅として開業。
段戸山系の御料林の木材を運搬する目的で敷設された森林鉄道的な性格を帯びた鉄道でした(宮内省の御用林もあったため、設立時は宮内省の出資を受けています)。
JR飯田線・本長篠駅前から愛知県道32号(長篠東栄線)を北上、貴船神社あたりで西側の山中を探すことになります。
三河大草駅の北側には、大草隧道があり、車道からアプローチする場合には、大草隧道を抜けて三河大草駅跡のホームに到達します。
三河大草駅の駅名標は、長篠の医王寺に保存されています。
活躍した豊橋鉄道モハ14は、「道の駅したら」の田口線電車展示場に静態保存。
豊橋鉄道田口線・三河大草駅跡 | |
名称 | 豊橋鉄道田口線・三河大草駅跡/とよはしてつどうたくちせん・みかわおおくさえきあと |
所在地 | 愛知県新城市富保 |
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