信州味噌のルーツ! 安養寺へ|佐久市

信州味噌のルーツともいえるのが佐久の安養寺味噌。鎌倉時代に南宋(中国)に留学した禅僧の心地覚心(しんちかくしん=臨済宗の僧)は、金山寺味噌を考案していますが、実は佐久に安養寺を開き、味噌造りを始めています。これが今や一大ブランドになっている信州味噌のルーツとか。

武田信玄が広めた信州味噌

安養寺
禅寺らしい佇まいの安養寺

長野県(信州)で製造される米麹と大豆、塩でつくる味噌(米味噌)が信州味噌。
「酵母と乳酸菌の働きにより、さっぱりとした旨味と豊かな芳香を併せもつ辛口味噌」(長野県味噌工業協同組合連合会)とのこと。

そして信州各地に味噌が普及したのは武田信玄が行軍用(兵糧)として造らせた「川中島溜」(かわなかじまたまり)とされています。
ただし、これは味噌溜(みそたまり)で、下総国(現・千葉県)野田の飯田市郎兵衛が川中島の合戦に際し、武田信玄に収めた「豆みそ」をつくっている過程で生まれた醤油(味噌の発酵・熟成中に分離した液体)。1tの味噌からわずか10リットルほどしか抽出されませんが、長期熟成の味噌からのみ摂ることのできる味噌の旨味成分が濃縮された液体です。

ちなみにたまり醤油は、大豆と塩、少量の小麦から造られる醤油で、味噌溜とは異なります。

関東大震災では被災した東京に味噌を送り、さらに第二次大戦で焼け野原となった東京にも味噌が送られます。
こうして信州味噌は東京で一躍有名になりました。

安養寺味噌が現代に蘇る!

安養寺の楼門
安養寺の楼門。寶林山という扁額がかかります

1249年(建長元年)に宋(現在の中国)に留学した心地覚心は西方寺(後の興国寺)を開山し、径山寺(きんざんじ)の味噌の製法を模した金山寺味噌を創案したことで有名です。

その心地覚心は、信濃国北佐久郡下平尾村(現・佐久市下平尾)に普化宗(ふけしゅう=虚無僧で知られる宗派で心地覚心が日本に伝えました)興国寺の末寺として安養寺を開き、寺種の大豆を使って味噌造りを始めたと伝えられています。
これが安養寺味噌で、現在では佐久市岩村田の老舗、和泉屋商店が安養寺味噌を復活させています。

安養寺は平尾村から貞治年間(じょうじねんかん/1362年〜1367年)に心地覚心の遺言により、弟子の正眼智鑑禅師が現在地に移転。戦国時代には武田信玄が曹洞宗の寺として堂宇を修築しています。元禄12年(1699年)、臨済宗妙心寺派に改宗。佐久市では安養寺味噌を使った安養寺ラーメンでの町おこしを行なっています。

佐久は武田信玄の信州攻略の拠点でもあり、天文19年(1550年)武田信玄は安養寺に526石余を寄進しています。
心地覚心が伝え、信玄が普及に一役買ったと伝えられる信州味噌の話、かなり、信ぴょう性があります。

安養寺客殿
格式高い客殿の入口
安養寺
名称 安養寺/あんようじ
所在地 長野県佐久市安原1687
電車・バスで JR小海線岩村田駅から徒歩15分
ドライブで 上信越自動車道佐久平スマートICから約4km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 安養寺 TEL:0267-67-4398
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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