【地図を旅する】vol.3 富士山頂は何県?
いきなりですが、まずは国土地理院の2万5000分の1地形図(TOPの画像)で、富士山頂の地図をじっくりとごらんください。Googleマップ、YAHOO!地図でも詳細な拡大図では静岡県と山梨県の県境の県界線が山頂近くでぷつ…
いきなりですが、まずは国土地理院の2万5000分の1地形図(TOPの画像)で、富士山頂の地図をじっくりとごらんください。Googleマップ、YAHOO!地図でも詳細な拡大図では静岡県と山梨県の県境の県界線が山頂近くでぷつ…
「日本異様難読山名コンテスト」(『パソコン通信NIFTY-Serve』)で日本で2番目の難読山名に選出されたのが、北方領土・国後島(くなしりとう)の爺爺岳(ちゃちゃだけ)。読み方がまったく想像がつかない山ですが、国後島に…
平成9年に行なわれた「日本異様難読山名コンテスト」(『パソコン通信NIFTY-Serve』)で難読山名日本一に選ばれた山が、大分県中津市山国町と日田市との境に聳える標高706.7mの一尺八寸山(みおうやま)。当然ながら、…
国内の最高気温41・1度の記録を持つのは埼玉県熊谷市。ではでは、平地で日本で一番涼しい夏を迎えることができるのは、どこでしょう? 明治時代に、外国人たちによって避暑地として見出された軽井沢、奥日光を抑えての涼しい街のトッ…
国内の最高気温41・1度の記録を持つのは埼玉県熊谷市。ではでは、平地で日本で一番涼しい夏を迎えることができるのは、どこでしょう? 答えは道東、釧路の東、昆布森海岸、そして根室支庁管内の根室市、羅臼町などで、実は夏でも20…
きしめんといえば、名古屋めしの代表格ですが、実は近年、若者を中心にきしめん離れが進んでいるのだとか。そのきしめん離れを押し戻すブームとなっているのが、きしころ、うどんころという名古屋独自の冷やし麺文化。冷やしぶっかけうど…
新春とともに群馬県内の各地で始まるだるま市。伊勢崎などの『初市』もメインの商品はだるまです。群馬県、埼玉県、そして東京の多摩地方で、だるま市が開かれるのは、実は江戸時代〜明治時代にかけて養蚕地帯だったから。養蚕とだるまに…
古墳時代の6世紀初頭、榛名山二ツ岳の大爆発による火砕流と、軽石であっという間に埋没したのが、榛名山の山麓にあった25ヶ所の集落。古代の集落が、火砕流や降灰に埋没し、当時の生活が判明するというまさに「日本のポンペイ」ともい…
明治13年2月14日、太政官布達第十六号により開園した広大な都市公園が奈良公園(奈良県奈良市)。野生の鹿が遊ぶ公園として有名ですが、実は、明治初年の廃仏毀釈、神仏分離までは興福寺の境内だった場所です。興福寺は、春日社(現…
明治時代に日本に招かれたお雇い外国人のひとり、エルヴィン・フォン・ベルツ(Erwin von Bälz)。ベルツ博士として知られるその人こそ、草津温泉、伊香保温泉を世に紹介し、その後の温泉保養地としての基礎を築いた恩人で…
東日本、西日本の文化的な分かれ目は、どこにあるのでしょう。その分かれ目こそ、わが町と宣言するのが、岐阜県関ケ原町と新潟県糸魚川町。とくに関ケ原町は、古代の三関(さんせき)のひとつ不破関(ふわのせき)があった場所で、ここか…
東日本と西日本の境は、糸魚川静岡構造線という地質学的な説、電気の周波数による区分け、通信事業者のNTTによる区分け、さらには気象庁による区分など、様々な区分があり、歴史的にも関西、関東の区分けは大きく移動し、古代には、東…
日本は「世界一の豪雪国」ですが、人里での積雪世界一、そして測候所のある山岳地での世界最積雪深記録も有しています。人里での世界記録は、新潟県上越市の8m18cm、そして名実ともに世界一の積雪記録は、滋賀県米原市、岐阜県揖斐…
キャンディーズのヒット曲『春一番』のイメージで、南から吹くそよ風のように思われている春一番ですが、実は春先に吹く恐ろしい暴風(南風)。実はこの春一番という言葉が定着したのは昭和39年頃ですが、ルーツは53人の漁師が命を落…
慶長10年(1605年)4月16日、徳川家康は、将軍職を我が子・秀忠に譲り、駿府を隠居所に決めて、「大御所政治」を行ないます。慶長12年(1607年)から元和2年(1616年)の間、実質的に駿府城(現・静岡県静岡市)が日…
3月、4月の『雛まつり』シーズンを迎えると、テレビなどで「雛人形、男雛と女雛は、男雛が左に」などと報道されていますが、実は、男雛と女雛の立ち位置は、そんなに単純な話ではありません。さらにいえば、『雛まつり』は、旧暦3月3…
山部赤人が東国に赴く道すがら、田子の浦を通って仰ぎ見た富士の姿を詠んだ有名な歌。「田子の浦ゆ うち出てみれば ま白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」。『小倉百人一首』にも選ばれ、「田子の浦ゆ」の短歌として有名ですが、実は…
信州松本城主・小笠原忠真(おがさわらたださね)は、寛永6年(1636年)に細川忠利に代わって小倉藩に移封されていますが、そのときに信州から北九州・小倉にもたらした食文化が、「ぬか漬け」。江戸時代、大名の転封で、食文化が変…