王子山公園
山口県長門市、仙崎市街と青海大橋で結ばれる青海島にある公園が、王子山公園。かつて仙崎と青海島が陸続きであった時代、吉備真備(きびのまきび)が王子山に素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀り、祇園社としたのが仙崎市街の八坂神社の…
山口県長門市、仙崎市街と青海大橋で結ばれる青海島にある公園が、王子山公園。かつて仙崎と青海島が陸続きであった時代、吉備真備(きびのまきび)が王子山に素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀り、祇園社としたのが仙崎市街の八坂神社の…
東京都台東区浅草1丁目、六区ブロードウェイにある台東区立浅草公会堂の正面入り口前に配される広場が、スターの広場。台東区が大衆芸能の振興に貢献した人々の功績を称え、業績を後世に伝えるために手型とサインを設置した広場で、浅草…
東京都台東区浅草2丁目、六区ブロードウェイの中心、公園六区交番の建つ五叉路の北に鎮座するのが、六芸神。平成8年に設置されたもので、唄神(うたいがみ)、奏神(かなでがみ)、話神(はなしがみ)、戯神(おどけがみ)、演神(えん…
東京都台東区浅草1丁目・2丁目、浅草寺の西側一帯は大正から昭和にかけて東京の娯楽の中心地だった地。浅草オペラや軽演劇もここから生まれ、エノケンこと榎本健一から萩本欽一、ビートたけしなど多くの芸能人を輩出。現在も六区ブロー…
東京都千代田区丸の内2丁目、KITTE丸の内にあるミュージアムがインターメディアテク。東京大学の科学遺産と文化遺産を常設展示する博物館で、旧東京中央郵便局舎の内装を活かしたレトロな雰囲気。しかも展示室には東大の古い備品な…
山口県長門市通(かよい)、かつて北浦捕鯨の一大基地として栄えた青海島の東端、通地区にあるクジラの博物館が、くじら資料館。屋根の上にクジラのモニュメントをのせた建物で、「鯨一頭捕れば七浦賑わう」といわれた、往時の古式捕鯨の…
山口県長門市、青海島の海岸の松と暖地性植物のなかに続く青海島自然研究路で、絶景の展望台が第一展望台・碧濤台(へきとうだい)。碧濤台の名は、高松宮の命名で、20余りの奇岩に打ち付ける波の生み出す絶景を見事に表現したもので、…
山口県長門市、「海のアルプス」と称される青海島の海岸美を手軽に堪能できるのが青海島自然研究路(おおみじましぜんけんきゅうろ)。島中央部の紫津浦(しつら)を起点とする全長1.9kmの歩道で、途中3ヶ所の展望台もあり、松林の…
山口県長門市、青海島のクビレ部、風光明媚な静ヶ浦にある海水浴場が、青海島海水浴場(船越の浜)。青海島として日本の渚百選にも選定されていますが、島を代表する浜が船越の浜。汀線は短いのですが、海のアルプスにある貴重な砂浜で、…
山口県長門市、「海上アルプス」との別名をもつ、青海島の海岸美を海から眺めるのが、青海島観光汽船(おおみじまかんこうきせん)が運航する観光遊覧船。道の駅センザキッチンの観光桟橋を出港後、黄金洞、大門、仏岩など、奇岩や洞穴な…
山口県長門市の仙崎漁港を走る山口県道282号(仙崎停車場小浜線)沿いにある道の駅が、道の駅センザキッチン。すぐ北に青海大橋が架かり、青海島の観光拠点にもなる道の駅で、その名の通り、長門の豊かな食材を味わえる、購入できる道…
東京都世田谷区等々力3丁目にある東急電鉄大井町線の駅が、等々力駅(とどろきえき)。東京23区内で唯一の渓谷といわれる等々力渓谷の玄関駅ですが、渓谷の湧水維持のため、駅の地下化計画が凍結されています。東京23区内屈指の難読…
静岡県静岡市清水区、清水港の江尻のりば・日の出のりばと、三保半島の三保のりばを結び、富士山清水港クルーズが運航する海上シャトル便が、清水港水上バス。三保羽衣ライン(日の出〜江尻〜三保〜日の出)、塚間航路(清水駅〜ドリーム…
静岡県静岡市清水区、清水港のエスパルスドリームプラザの海側にあるのが、清水港テルファー。もともとは、国鉄清水港線・清水港駅に木材積込用に建設された鉄道施設(クレーン)。全長110mのコの字型。昭和3年5月に運用が始まった…
北海道函館市の函館港と青森県青森市の青森港を結ぶフェリーのターミナルが、青函フェリー・函館フェリーターミナル。栗林商船グループのフェリー会社で、3時間50分~4時間で函館港とを結んでいます。「はやぶさ」(2949t)など…
青森県青森市の青森港と北海道・函館市の函館港を結ぶフェリーのターミナルが、青函フェリー・青森フェリーターミナル。栗林商船グループのフェリー会社で、3時間50分~4時間で函館港とを結んでいます。「はやぶさ」(2949t)な…
青森県青森市の青森港に係留保存される青函連絡船「八甲田丸」。「八甲田丸」の船尾側にあるのが、青函連絡船青森桟橋可動橋跡。青函連絡船は、船尾から貨車など鉄道車両をそのまま積載することができましたが、そのための可動橋が現存。
青森県青森市の青森港に係留される、青函連絡船が八甲田丸。昭和39年に就航し、青函トンネル開通による昭和63年3月13日の終航まで、青森と函館を結び、人と列車を運び続けた鉄道連絡船で、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸とし…