西武秩父線・横瀬駅を降り立つと、ひときわ印象的なのが、ピラミッドのような形状(階段状)の山。実はこの山、積み上げたのではなく、階段状に切り取られている山で、石灰岩採掘が今も行なわれる武甲山(1304m)。横瀬駅(横瀬町)側の北面が切り取られているので、横瀬駅周辺から眺めると、まさにピラミッドです。
南洋の火山島周辺で生まれたサンゴ礁が山体を形成

武甲山の山上で菱光石灰工業(三菱マテリアルの完全子会社)が採掘した石灰岩は、長さ3kmものベルトコンベアで西武秩父線沿いの三菱マテリアル横瀬工場に運ばれ、横瀬工場の原料ミル、1450度にも達するロータリーキルン(回転窯)で焼成され、仕上ミルで粉砕、最終製品である粉末状のセメントが誕生します。
セメントは国産100%ですが、その多くはカルスト地形である秋吉台がある山口県で生産され、タンカーで首都圏へと運ばれています。
セメント工場は、大量の廃棄物・副産物を受け入れ、セメント原料や熱エネルギーの代替物として有効活用していますが、横瀬工場でもセメント生産量1t当たり525kgの廃棄物を有効活用してしているとのこと。
武甲山は2億年前、5000km以上も離れた南洋の火山島周辺で生まれたサンゴ礁が、海洋プレートの移動で運ばれてきたもの。
採掘されピラミッド状となった部分は、かつて海底に堆積したサンゴということに。
採掘後は植林が行なわれているので、一部は緑の山肌になりつつありますが、山頂直下は、まさに階段状のピラミッドです。
秩父のシンボルでもある武甲山ですが、秩父市街地や、芝桜で有名な羊山公園から眺めると、採石地を斜め横から眺めることになり、ピラミッド感が薄れます。
横瀬町からだと、真正面(真北)となるので、まさに「ピラミッド的武甲山眺望」の一等地ということに。
とくに古民家を再生した一棟貸しの宿「わのおうち善」、あたりからだと眼前に迫るので(TOPの画像)、スケッチ旅行の基地としてもおすすめです。

階段状に山を削る「ベンチカット工法」で標高も32m減

武甲山は秩父の人々にとって農業神、水神としての神の宿る神奈備山(かんなびやま)でもあり、世界ユネスコ文化遺産に指定される『秩父夜祭』も武甲山に豊作を感謝し、水の神である龍神を歓送する祭礼です。
日本武尊(やまとたける)が東征の成功を祈って山頂に武具や甲冑(かっちゅう)を納めたという伝説が、江戸時代に武甲山という名が生まれた原因で、それ以前は嶽山、知々夫ヶ嶽などと称されていました。
そんな武甲山の石灰岩開発が始まったのは意外に最近で、1970年代のこと。
年配の人は、緑の武甲山を覚えている人も多いのだとか。
1981年から山頂での採掘が始まり、階段状に山を削る「ベンチカット工法」と呼ばれる岩盤の掘削工法で、山頂を中心に露天掘りが進んだため、ピラミッド状の山体が生まれたものの、もともとの最高点は失われ、標高は32mも低くなっています。
山頂に祀られた蔵王権現(武甲山御嶽神社)も旧社地は失われ、登山口の一の鳥居から表参道を登った山頂直下(南側)に遷座しています。
武甲山は、戦後、それまでの基幹産業だった養蚕の衰退に苦しんでいた秩父をふたたび活性化するメリットもあったのです。
地元、秩父市の小学校では、夏休みの宿題の定番が武甲山のスケッチ。
往時は緑の武甲山でしたが、今では特異なピラミッドのスケッチとなっています。
秩父にある「巨大ピラミッド」、武甲山を横瀬町から見上げる! | |
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