鉄道発祥の地碑
長崎県長崎市新地町、旧長崎英国領事館の北、長崎みなとメディカルセンター前に立つのが、鉄道発祥の地碑(我が国鉄道発祥の地碑)。新橋〜横浜間の鉄道開業は、明治5年9月12日(1872年10月14日)のことですが、長崎では元治…
長崎県長崎市新地町、旧長崎英国領事館の北、長崎みなとメディカルセンター前に立つのが、鉄道発祥の地碑(我が国鉄道発祥の地碑)。新橋〜横浜間の鉄道開業は、明治5年9月12日(1872年10月14日)のことですが、長崎では元治…
長崎県長崎市南山手町、グラバー園内、グラバー住宅の背後にある旧自由亭横に立つのが、西洋料理発祥の碑。全国のコックで組織される全日本司厨士協会が、発祥の地を調査した結果、文久3年(1863年)、長崎に開店した西洋料理店「良…
埼玉県川口市芝園町、JR京浜東北線蕨駅(わらびえき)に近いUR都市機構・川口芝園団地に立っているのが、新幹線電車発祥の地記念碑。記念碑の立つ川口芝園団地は、新幹線の試作車1000形電車、量産車0系が製造された日本車輌製造…
神奈川県小田原市南鴨宮3丁目、JR東海道本線鴨宮駅前(かものみやえきまえ)にあるのが、新幹線発祥の地記念碑。鴨宮は、東海道新幹線建設に先立って建設された「鴨宮モデル線」の終点、鴨宮基地があった地で、駅前に発祥の地であるこ…
鳥取県米子市弥生町、JR米子駅前だんだん広場にあるのが、山陰鉄道発祥の地モニュメント。明治35年11月1日、官設鉄道の境駅(現・境港駅)〜御来屋駅間(36.8km)の開業が、山陰地方で初めての鉄道の開通。それを記念して米…
大阪府豊中市にあるのが高校野球発祥の地記念公園。夏の甲子園で知られる全国高等学校野球選手権大会の前身である全国中等学校優勝野球大会の第1回大会は、大正4年8月18日〜8月23日に、豊中運動場(豊中グラウンド)で開催。その…
東京都千代田区外神田2丁目、神田神社(神田明神)境内に立つのが、国学発祥の地碑。伏見稲荷神社(現・伏見稲荷大社)の社家・荷田春満(かだのあずままろ)は、元禄13年(1700年)、勅使として江戸に派遣され、江戸に留まって神…
兵庫県神戸市中央区、神戸市役所前、フラワーロードの園地に立つのが、日本マラソン発祥の地碑。明治42年3月21日、神戸・湊川埋め立て地から大阪・西成大橋東端までの32.2kmの『マラソン大競走阪神間20哩長距離競争』が開催…
神奈川県横浜市中区山手町、港の見える丘公園・フランス山地区の入口に立つのが、横浜ボウリング発祥の地碑。日本におけるボウリングの発祥は、長崎の居留地で、文久元年(1861年)のこと。横浜居留地で始まったのは元治元年(186…
長崎県長崎市松が枝町、ちゃんぽんの発祥地「四海楼」の前に立つのが、ボウリング発祥の地碑(わが国ボウリング発祥の地碑)。記録に残る限りでは、元治元年(1864年)の横浜、明治2年の神戸に先駆け、文久元年(1861年)、長崎…
福岡県北九州市門司区港町1丁目、門司港レトロ地区のJR門司港駅前(旧門司三井倶楽部側)に立つのが、バナナの叩き売り発祥の地碑。台湾から運ばれたバナナが、当時国際貿易港として繁栄した門司港で陸揚げされたことから、門司港周辺…
東京都千代田区神田錦町3丁目、結婚式にも使われる学士会館の前に立つのが、東京大学発祥の地碑。東大は本郷キャンパスが有名ですが、明治10年4月12日、東京開成学校と本郷元富士町にあった東京医学校が合併して、この場所に東京大…
東京都中央区銀座2丁目、ティファニー銀座本店前に立つのが、銀座発祥の地。ティファニー(Tiffany & Co.)の建つあたりが、江戸時代に貨幣鋳造と銀地金の売買が行なわれた銀座役所のあった地。寛政12年(180…
東京都中央区日本橋1丁目、日本橋郵便局の一画にあるのが、郵便発祥の地碑。明治4年3月1日(1871年4月20日)、郵便事業開始とともに江戸橋南詰に開設されたのが駅逓司(えきていし=現在の郵政省)、四日市郵便役所(現在の日…
東京都港区三田4丁目、二本榎通り・聖坂と伊皿子坂の交差点に立つのが、歯科医学教育発祥の地碑(歯科医学教育発祥之地碑)。アメリカ留学を終えた高山紀齋(たかやまきさい)は、明治23年1月、芝区伊皿子町70番地に高山歯科医学院…
東京都中央区新川1丁目、隅田川に架る永代橋(えいたいばし)の西詰に立つのが、船員教育発祥の地碑。明治維新後、鎖国時代が続いたことから欧米列強との大きな差があったのが海運力。そのため、明治8年11月、「三菱商船学校」が隅田…
東京都中央区日本橋箱崎町、隅田川と日本橋川の合流地点に立つのが、日本銀行創業の地(にっぽんぎんこうそうぎょうのち)碑。日本橋川河口に架る豊海橋の北詰、IBM箱崎ビル横の園地に日本銀行創業の地であることを示す石碑が立ってい…
山梨県西八代郡市川三郷町市川大門にある甲斐源氏発祥の地が、甲斐源氏旧跡。甲斐源氏の礎を築いたと伝えられる源義清(みなもとのよしきよ)は、新羅三郎義光の三男で、平安時代後期の天承元年(1131年)に甲斐国に入り、市河庄、青…