今帰仁城
今帰仁城(なきじんじょう/なきじんぐすく)は、平成12年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたグスクのひとつで沖縄本島北部の本部半島、今帰仁村(なきじんそん)にある中世の城。琉球が中山に統一…
今帰仁城(なきじんじょう/なきじんぐすく)は、平成12年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されたグスクのひとつで沖縄本島北部の本部半島、今帰仁村(なきじんそん)にある中世の城。琉球が中山に統一…
沖縄戦の戦禍を免れ沖縄県内でもっとも原形をとどめたグスクが縄県中頭郡北中城村(きたなかぐすくそん)・中城村(なかぐすくそん)にある中城城(なかぐすくぐすく・なかぐすくじょう)。中城湾(なかぐすくわん)を見下ろす標高150…
島根県内では出雲大社に次いで参拝者が多いのが津和野町の太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)。参道から社殿までの約250m、1000本もの赤い鳥居のトンネルが、まるで山を登るように連なって見えるので、最近ではフォトジ…
京都・大原野、大原野神社向いにある天台宗の古刹が十輪寺で、本尊は延命地蔵菩薩。六歌仙のひとり在原業平(ありわらのなりひら)が晩年に隠棲(いんせい)した地と伝わり、業平寺(なりひらでら)とも、文徳天皇の御妃・染殿皇后(そめ…
加賀百万石のシンボル、金沢城は、加賀藩主・前田家の居城。天正11年(1583年)、前田利家により本格的な築城が開始されました。天明8年(1788年)築の石川門、安政5年(1858年)に再建された三十間長屋は、そして鶴丸倉…
渡島半島の噴火湾(内浦湾)沿い、函館市の南茅部地区にある縄文時代前期後半(紀元前3200年)から中期後半(紀元前2000年頃)の大規模な集落遺跡が大船遺跡(おおふねいせき)。南側の垣ノ島遺跡とともに、世界文化遺産「北海道…
津山盆地(岡山県津山市)の中央にある小高い丘に建つ平山城の城跡が津山城で、姫路城、松山城と並んで日本三大平山城にも数えられています。鶴が羽根を広げたように見えることから、別名「鶴山城」(かくざんじょう)とも呼ばれ、その城…
兵庫県朝木市の古城山(虎臥山)に築かれた山城が竹田城。日本100名城のひとつで、映画『天と地と』、『あなたへ』のロケ地にもなっています。嘉吉年間(1441年〜14434年)、但馬の守護大名・山名宗全(やまなそうぜん)が出…
7世紀後半、百済(くだら)の16代・辰斯王(4世紀末)の王子で日本に帰化した辰孫王の子孫、葛井連広成(ふじいのむらじひろなり=白猪史広成・しらいのふひとひろなり) が当時の天皇の仏教興降政策に協力して創建と伝えられる古刹…
千葉県成田市にある宗吾霊堂(そうごれいどう)は、正式名は鳴鐘山東勝寺で真言宗豊山派の寺。寺伝によれば桓武天皇の勅命により、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が房総平定の際に創建したという古刹です。寺地は火災などで変遷…
慶長16年(1611年)、信長・秀吉・家康に仕えた堀尾吉晴(ほりおよしはる)が亀田山に築城した城。関ヶ原の合戦後、堀尾吉晴、忠氏親子は月山富田城に入城しますが、山城で不便なため亀田山に松江城を築き、近世的な城下町を縄張り…
美濃・岩村城(岐阜県恵那市岩村町)、備中松山城(岡山県高梁市)とともに「日本三大山城」に数えられる名城が奈良県高市郡高取町にある高取城。南北朝時代、元弘2年・正慶元年(1332年)、南朝方の越智邦澄(おちくにずみ)によっ…
天正16年(1588年)、築城の名手・黒田孝高(くろだよしたか=黒田如水・黒田官兵衛)によって築かれ、細川忠興が完成させた平城。中津川(山国川)と大家川に挟まれた、河口の中洲に位置し、北は周防灘に面していることから、堀に…
昭和13年、周辺の丘陵地への農業用水を確保するため、熊本県境にもほど近い大野川上流の大谷川に築かれた、灌漑施設が白水ダム(白水溜池堰堤)。堤長約87m、堤高は13.9m、貯水量60万トンと、正式にはダムではなく、その名称…
大分県中津市、本耶馬渓(ほんやばけい)を流れる山国川に架けられた、全長116mの石造アーチ橋が耶馬渓橋。荒瀬井堰のやや下流に位置し、国の名勝・青の洞門にもほど近い場所に架かっています。大正12年の架橋で、平成11年には改…
大分県中津市の耶馬渓(やばけい)のなか、標高250mの羅漢山中腹に位置する、全国羅漢寺の本山といわれる古刹が羅漢寺(らかんじ)。山号は耆闍崛山(ぎしゃくつせん)、本尊は舎利塔に納められた仏舎利(ぶっしゃり)です。羅漢とは…
「♪つれて逃げてよ ついておいでよ」の歌い出しで知られる演歌『矢切の渡し』。昭和51年にちあきなおみが歌いましたが、昭和58年の競作で細川たかしの歌った『矢切の渡し』が『第25回日本レコード大賞』受賞、年末の紅白歌合戦の…
江戸川河畔、松戸市下矢切(やきり)と東京都葛飾区柴又(かつしかくしばまた)を結ぶ、江戸川の渡し船が矢切の渡しで、江戸時代には幕府公認の農民渡船でした。旧矢切村の農民は江戸川対岸に農地を持っている場合も多かったのです。伊藤…