宮崎神宮

宮崎神宮

天孫降臨伝説の地、宮崎らしく神武天皇を主祭神とする歴史ある神社が宮崎市神宮に鎮座する宮崎神宮。地元・宮崎では「神武さま」と親しまれています。社伝によれば神武天皇の孫で、阿蘇開拓の神でもある健磐龍命(たけいわたつのみこと)が神武天皇の都跡に天皇の神霊を鎮祭するために創建したという古社です。

神武天皇の東征伝説を今に伝える古社

宮崎神宮
宮崎神宮

記録に残る初出は、鎌倉時代初め、建久8年(1197年)、地頭・土持太郎信綱による社殿の造営です。
土持氏は、平安時代、日向国の荘園領主で、宇佐八幡宮の社人。
欽明天皇32年(570年)、宇佐八幡宮創建の際に、袖に土をくるんで運んだため欽明天皇から土持姓を賜ったとされています。

南北朝時代に南朝の正統性を記した『神皇正統記』が出されていますが、宮崎にあったという神武天皇の皇宮説、そして神武東征伝説は、中世にはすでに定着し、帝都だったとされる宮崎に社を建てたのだとも推測できます。

明治維新の王政復古の大号令で、神武天皇の東征伝説が再度注目され、宮崎神宮も有名になりました。

現在の社殿は明治39年の造営で、宮崎県産の狭野杉で造営された流れ造りの清楚なもの。
徴古館は明治40年に伊東忠太の設計で建てられたなまこ壁の建築物で、神殿(本殿)、幣殿、渡殿、神饌所などと同様に国の登録有形文化財になっています。

宮崎神宮は、深い木立に囲まれ、東神苑には、樹齢400年以上と推定される国の天然記念物「大白藤(オオシラフジ)」があり4月中旬に見事な花を咲かせています。

西神苑・御奉安所には西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)から出土した舟形埴輪をモデルに製作された古代船「おきよ丸」を展示。
この古代船は、神武天皇の東征伝説(初代天皇カムヤマトイワレビコ=神武天皇が日向を発ち、大和を征服して橿原宮で即位するまでを記した説話)をモチーフにしたもの。

神武天皇の東征伝説
『古事記』、『日本書紀』などによれば、神武天皇は、幼少の時代を現在の都城市の北、西諸県郡高原町(にしもろかたぐんたかはるちょう)周辺で過ごしたとされ、成人して宮崎へ移り、兄である五瀬命(いつせのみこと)らとともに国家統一を思案します。
宮崎神宮近くには皇居跡と伝わる皇宮屋(こぐや)もあり、まさに神武天皇ゆかりの地。
神武天皇は兵を集めて美々津の湊(耳川の河口部に位置する港/現・日向市美々津)から東を目指して船出したと伝えられ、これが神武東征伝説。
宮崎という地名は「神家」(みや)の先、つまり、神武天皇の皇居の先というのが地名の由来とする説もあり、日向に伝わる神話を旅するならこの宮崎神宮は欠かせない地となっているのです。
神武東征伝説に関しては、多くの歴史学者が史実としては否定的な見解ですが、宮崎では『宮崎の神話』として今も語り継がれています。
宮崎神宮
名称 宮崎神宮/みやざきじんぐう
所在地 宮崎県宮崎市神宮2-4-1
関連HP 宮崎神宮公式ホームページ
電車・バスで JR宮崎神宮駅から徒歩10分
ドライブで 宮崎自動車道宮崎ICから約7.8km
駐車場 300台/無料、正月は1400台の臨時駐車場を開設
問い合わせ 宮崎神宮 TEL:0985-27-4004/FAX:0985-27-4030
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
宮崎神宮徴古館

宮崎神宮徴古館

2021年5月18日

 

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