上総国分寺
前身は、741(天平13)年、聖武天皇の詔により、国家鎮護のために諸国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)。往時の上総国分寺は伝承では平将門(たいらのまさかど)の乱で焼亡し、室町時代までに荒廃。現在の国分寺は、元禄…
前身は、741(天平13)年、聖武天皇の詔により、国家鎮護のために諸国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)。往時の上総国分寺は伝承では平将門(たいらのまさかど)の乱で焼亡し、室町時代までに荒廃。現在の国分寺は、元禄…
南房総市の千倉にある神社で、「料理の祖神」であるといわれる磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)を祀る神社として料理関係者や味噌醤油醸造業者などから崇敬されています。
千葉県屈指のパワースポットが市原市にある高瀧神社。高瀧神社の創建年代は不詳ですが、9世紀の記録である『日本三代実録』に記載のある古社。社伝によれば7世紀の創建。春季例大祭(4月)の花嫁まつり、秋季例大祭(10月)の流鏑馬…
大祭市原市の高滝ダムの近くに鎮座する高瀧神社の秋季大祭は、喧嘩祭りとも呼ばれ、流鏑馬(やぶさめ)や神輿の渡御などが行なわれます。4月中酉日の春季例大祭は、花嫁祭りとして知られますが、10月中酉日に斎行される秋季例大祭は、…
船橋大神宮秋の『例大祭』の奉納相撲は、天正18年(1590年)、相撲好きな徳川家康の前で披露したのが始まりという、関東でも屈指の草相撲大会。有名な大坂冬の陣が起きた慶長19年(1614年)頃、家康は上総土気(かすざとけ=…
意富比神社(おおひじんじゃ)が正式名ですが、船橋大神宮(ふなばしだいじんぐう)と通称される、平将門、源頼朝、徳川家康ゆかりの名社です。社伝によれば、日本武尊の東征の折に祈願したことがルーツで、延喜式神名帳に「葛餝郡意富比…
毎年10月20日、船橋市の船橋大神宮で『例祭』が齋行される。船橋大神宮の例祭に、神楽(かぐら)と喧嘩相撲(けんかずもう)と呼ばれる相撲大会が奉納されます。神楽は7座ほどが演じられます。
神明社は高根の鎮守社で、鎮守の森に囲まれた神楽殿では元日(21:30〜)、5月1日(17:00〜)、10月15日の例祭(18:00〜)に、五穀豊穣と村の安全を願い神楽(かぐら)が奉納されます。10月24日の夜には同じ高根…
1月15日と10月16日(例祭)に二宮神社境内の神楽殿で、節分祭(毎年2月3日)には社殿で演じられる神楽。演目は、12座伝えられているなかから、天候や客の集まりを見て決められています。神楽はやし連を構成しているのは地元、…
浄土真宗の寺、證誠寺はJR木更津駅西口から約600m、矢那川沿いの市街地に位置しているにもかかわらず、松や杉、檜などが生い茂った趣深い寺。かつては、寺子屋として名高く、住職が庶民に読み書きを教えていました。そんな證誠寺に…
三徳山参詣のメインルートは、三朝温泉を経由し三徳山に入山する道。「六根清浄と六感治癒の地」として三徳山(六根清浄)と三朝温泉(六感治癒)はセットになっていたのです。三徳山では修行により、目・耳・鼻・舌・身・意を清める「…
「江差の五月は江戸にもない」。北前船による江差の繁栄を端的に表す言葉としてよく、引き合いに出されるフレーズです。でも、この言葉の意味を理解している人は、実はあまり多くはありません。それは、どうして江差が北前船の起点となっ…
龍雲院、法源寺、法幢寺など5つの寺や松前藩主松前家墓所が現存し、道内唯一の近世的な寺町として北海道遺産「福山(松前)城と寺町」にも認定の松前の寺町。前編ではその由来の秘密と光善寺を紹介しました。後編では龍雲院、法幢寺、阿…
「北の小京都」といわれるのが、最北の城下町・松前ですが、実は松前の城下町は、往事の町並みがほとんど残っていません。幕末の戊辰戦争(箱館戦争)で新政府側に寝返った松前藩は城下に火を放って逃走。これで、寺町も焼けてしまうので…
「三徳山-信仰の山と文化的景観」は、現在、文化庁の世界遺産暫定一覧表候補となっており、鳥取県では世界遺産登録へ運動を展開中。ところがこの三徳山(みとくさん)、標高はわずかに899.6m。霊峰というほど標高はなく、周囲から…
文治5年閏四月晦日(旧暦4月30日/西暦1189年6月15日)に平泉の「衣河館」で自害したとされる源義経ですが、実は、自害は見せかけで、弁慶などとともに北海道に渡った・・・。これが有名な『義経北行伝説』。31歳で生涯を閉…
どうも、かつてはEXILE AKIRA似と言われたこともある熊山です。そんなAKIRAが観光プロモーションを担当する、島根県・石見エリアのプレスツアーに参加してきました。島根県といえば、右隣の鳥取県と並んで、日本でも有数…
黒部市生地地区はアルプスからの伏流水が湧き出る湧水の里であるとともに、昆布ロードに関連した土地。というのも北海道開拓時代に羅臼昆布で知られる知床・羅臼に入植した人の7割はこの生地出身者だったのです。その地に鎮座する新治神…