多太神社
石川県小松市にある平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載される古社が多太神社。倶利伽羅峠・篠原の合戦後、木曽義仲が斎藤実盛(さいとうさねもり)の供養と戦勝を祈願して実盛着用の兜を奉納したと伝えられ、木曽義仲好きの松尾芭蕉…
石川県小松市にある平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも記載される古社が多太神社。倶利伽羅峠・篠原の合戦後、木曽義仲が斎藤実盛(さいとうさねもり)の供養と戦勝を祈願して実盛着用の兜を奉納したと伝えられ、木曽義仲好きの松尾芭蕉…
福島県喜多方市、応永29年(1422年)、示現寺(熱塩)の法孫雲光和尚が開山した曹洞宗の禅寺が安勝寺。現存する本堂は明治13年の大火で焼失後、明治29年に再建されたという喜多方らしい土蔵造り。白い漆喰の壁と黒い瓦屋根のコ…
福島県会津坂下町、会津三十三観音第31番札所で、会津ころり三観音、そして会津六詣出のひとつに数えられる名刹が恵隆寺 立木観音堂。寺伝によれば本尊の十一面千手観音菩薩(国の重要文化財)は大同3年(808年)に空海(弘法大師…
瀬戸内海の大三島(愛媛県今治市)が総本社の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ=全国の山祇神社、三島神社の総本社)の分社で、会津六詣出の一社が福島県西会津町の大山祇神社。社伝によれば宝亀9年(778年)創建という古社で、大和…
福島県白河市、下野国(しもつけのくに)と陸奥国(むつのくに)の国境の関があった白河の関跡を境内とする神社が白河神社。関の明神、二所関明神と呼ばれ、社伝によれば、古墳時代の成務天皇5年(315年)、白河国造・鹽伊乃自直命(…
福島県須賀川市にある浄土宗の寺、十念寺。来迎山白道院十念寺は、益子の円通寺の末寺として文禄元年(1592年)創建。元禄2年4月28日(1689年6月15日)、松尾芭蕉は『奥の細道』の道中で須賀川宿に7泊もし、出発の前日、…
富山県中新川郡上市町眼目(さっか)にある一帯の森が「森林セラピー基地」にも認定されるのが立山寺(りゅうせんじ)。建徳元年(1370年)、曹洞宗大本山總持寺(そうじじ)の第二祖・峨山紹磧(がさんじょうせき)禅師が開いた古刹…
富山県小矢部市、社伝では養老2年(718年)、豊前国の宇佐八幡宮(宇佐八幡宮弥勒寺)から分霊を勧請して創建したと伝えられる古社が埴生護国八幡宮(はにゅうごこくはちまんぐう)。天平時代に越中の国守として赴任した大伴家持(お…
富山県射水市にある、平安時代に京の賀茂御祖神社(下鴨神社)の分霊を勧請して創建された神社が下村加茂神社。寛治4年(1090年)、現在の射水市東部・富山市西部が京の賀茂御祖神社(下鴨神社)の神領となった際、倉垣庄(越中国射…
富山県射水市串田、延長5年(927年)に編纂の『延喜式神名帳』に「越中国射水郡櫛田神社」として記載される古社(式内社)が櫛田神社(くしだじんじゃ)。祭神は、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)…
宮崎県日向市伊勢ヶ浜にある「日向のお伊勢さま」と称される神社が大御神社(おおみじんじゃ)。本殿、拝殿は日向灘に臨む海食崖(柱状節理の断崖)に配され、海蝕洞には摂社、鵜戸神社が鎮座し、祠の前から振り返れば「昇龍の光」を拝む…
宮崎県日南市南郷町にある江戸時代初期の万治元年(1658年)、飫肥藩(おびはん)の鎮守社として創建されたのが榎原神社(よわらじんじゃ)。飫肥藩3代藩主・伊東祐久(いとうすけひさ)は、内田万寿女(内田外記の娘で、当時神女と…
宮崎県都城市にある古社が輿玉神社(こだまじんじゃ)。創建は不詳だが、明治以前は久玉(くだま)大明神と称していた。明治初年に猿田彦命(さるたひこのみこと)、大名持命(おおなもちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)を…
宮崎県宮崎市佐土原町、城下町・佐土原の宝搭山麓に建つ臨済宗妙心寺派の寺が大光寺。本尊は十一面観世音菩薩。建武2年(1335年)、岳翁長甫(がくおうちょうほ)が開山、領主の伊東祐聡(いとうすけふさ)が開基した古刹です。江戸…
宮崎県日南市平山、『日向シャンシャン馬』発祥の地となる神社が駒宮神社。幼少時を皇子原(現在の宮崎県高原町)で過ごした神武天皇が宮崎の宮に向かう途中に元服の頃までの数年間を過ごした宮殿の跡と伝わり、少年の頃の宮殿跡という意…
宮崎県都城市にある平安時代創建の島津荘の鎮守社が神柱宮(かんばしらぐう)。万寿3年(1026年)、大宰府大監(だざいふたいげん=太宰府の四等官のうち判官)の平季基(たいらのすえもと)と弟・平良宗が島津院を中心に開発し、関…
宮崎県東諸県郡国富町の犬熊(本庄)にある天台宗の古刹が萬福寺(まんぷくじ)。寺伝によれば延暦22年(803年)、唐へ渡る最澄(さいちょう)が国富荘(今の国富町)で一夜の宿を借りた際、三尊仏を自刻して安置したのが始まりと伝…
宮崎県都城市横市町に鎮座するのが母智丘神社(もちおじんじゃ)。母智丘(もちお)の頂には巨石群があり、古代には巨石信仰の地であったことが推測されます。明治2年9月に都城地頭として赴任した旧薩摩藩士・三島通庸(みしまみちつね…