耕三寺・耕三寺博物館
芸予諸島のひとつ、生口島(いくちじま=広島県尾道市瀬戸田町)にある耕三寺(こうさんじ)は、実業家で福岡県鞍手郡直方町(現直方市)出身の耕三寺耕三(こうさんじこうぞう)が亡き母への報恩のために得度、僧籍の道に入り創建した寺…
芸予諸島のひとつ、生口島(いくちじま=広島県尾道市瀬戸田町)にある耕三寺(こうさんじ)は、実業家で福岡県鞍手郡直方町(現直方市)出身の耕三寺耕三(こうさんじこうぞう)が亡き母への報恩のために得度、僧籍の道に入り創建した寺…
村上海賊の時代から瀬戸内の海洋文化の中心地、さらに因島村上海賊の拠点として栄えた広島県尾道市の因島(いんのしま)。その村上海賊の菩提寺で、宝徳2年(1450年)、青陰城主・村上吉資が建立した古寺が金蓮寺です。寺の裏には村…
広島県尾道市、芸予諸島のひとつ、因島(いんのしま)にある曹洞宗の寺が金蓮寺(こんれんじ)。村上海賊(因島村上海賊)の菩提寺で、正徳年間(1711年〜1715年)に廃寺となりましたが、寛政2年(1790年)に再興されていま…
社伝によれば淀川鎮守の社として淀川河口の中洲に祀られたのが始まりという古社。伊予・大三島(愛媛県今治市)の大山祇神社、伊豆(静岡県三島市)の三嶋大社とともに「三三島」(さんみしま)と呼ばれ、三島神社(山祇神社)のルーツと…
「瀬戸内しまなみ海道」(西瀬戸自動車道)の走る芸予諸島北部、愛媛県今治市の大三島(おおみしま)宮浦港の東に位置する大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)。創建の歴史は古く、神話の時代、神武天皇の東征に先駆けて芸予海峡の要衝で…
永久3年(1115年)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正が創建した醍醐寺三宝院は、世界文化遺産「古都京都の文化遺産」の構成資産である醍醐寺の本坊的な存在で、歴代座主が居住する坊です。豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本…
世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつ、真言宗醍醐派総本山・醍醐寺。下醍醐と山上の上醍醐に分かれていますが、下醍醐伽藍の中心が金堂。「醍醐の花見」を開いた豊臣秀吉の命で、紀州国湯浅(現・和歌山県湯浅町)の満願…
「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録される醍醐寺(だいごじ)。醍醐寺には、上醍醐、下醍醐の伽藍に、あわせて6棟の国宝、10棟の重要文化財の建物がありますが、下醍醐にある五重塔は父・醍醐天皇の冥福を祈るために第三皇…
山口県山口市にある瑠璃光寺は曹洞宗の寺で山号は保寧山。永平寺を大本山とする曹洞宗の寺のため、階段式の回廊が巡らされミニ永平寺といった感じ。五重塔は、大内文化花開いた室町時代、寺が香積寺だった頃のもので、嘉吉2年(1442…
「西の京・山口」と呼ばれる山口県山口市。大内氏全盛期の大内文化を伝える瑠璃光寺を中心に一帯を公園化した場所が香山公園。春の梅、桜で有名。香山墓所は、毛利敬親(もうりたかちか)が居城を萩から山口に移し、明治4年に敬親が山口…
平清盛(たいらのきよもり)は安芸(あき=広島県)の宮島に厳島神社を創建し、平家の氏神としていますが、兵庫津(神戸)に日宋貿易用に大輪田泊(おおわだのとまり)を築港する際にも厳島神社の分霊を勧請して要所7ヶ所に弁天社を建立…
四国八十八ヶ所霊場は、「発心の道場」である阿波(あわ=徳島県)の霊場23ヶ所を終えると、国をこえて土佐国、現在の高知県へと入り、「修行の道場」が始まります。室戸岬にある24番・最御崎寺(ほつみさきじ)に始まり、土佐路の西…
愛媛県松山市にある円明寺(えんみょうじ)は、聖武天皇の勅願により行基が開基したと伝わる真言宗豊山派の寺。四国八十八ヶ所霊場第53番札所で、本尊は阿弥陀如来。創建当時は海岸にあり、海岸山圓明密寺と称していたとのこと。後に空…
太山寺(たいさんじ)は、愛媛県松山市にある真言宗智山派の寺で、四国八十八ヶ所霊場第52番札所。山号は瀧雲山(りゅううんざん)。寺伝によれば用明2年(585年)頃創建され、天平11年(739年)、聖武天皇の勅願をうけて、行…
愛媛県松山市の道後温泉の近くにある真言宗豊山派の古刹、石手寺(いしてじ)。四国八十八ヶ所霊場第51番札所で、山号は熊野山、本尊は薬師如来。神亀5年(728年)、聖武天皇の勅願により創建され、もとは安養寺と称し法相宗の寺で…
愛媛県松山市の松山市街を見下ろす高台にあり、瀬戸内海を一望する古刹が繁多寺(はんたじ)。四国八十八ヶ所霊場第50番札所で、本尊は薬師如来。創建は、天平勝宝年間(749年〜757年)、孝謙天皇の勅願で行基が開いたとされ、当…
愛媛県松山市にある真言宗豊山派の古刹で、四国八十八ヶ所霊場第49番札所が浄土寺。本尊は釈迦如来。天平勝宝年間(749年〜757年)、孝謙天皇の勅願寺として、恵明上人が行基彫造の釈迦如来像を本尊として祀り、開創。後に荒廃し…
愛媛県松山市にある西林寺は、天平13年(741年)、行基により開基したと伝えられる古刹で、四国八十八ヶ所霊場第48番札所。本尊は十一面観音像。当初は現在の松山市小野播磨塚あたりにありましたが、大同2年(807年)、空海(…