野口王墓(天武・持統天皇陵)
奈良県高市郡明日香村にある飛鳥時代(古墳時代終末期)の687年(持統天皇元年)に築かれたと推測される八角墳が、野口王墓(のぐちのおうのはか)。宮内庁は檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)として、天武・持統天皇陵に治…
奈良県高市郡明日香村にある飛鳥時代(古墳時代終末期)の687年(持統天皇元年)に築かれたと推測される八角墳が、野口王墓(のぐちのおうのはか)。宮内庁は檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)として、天武・持統天皇陵に治…
奈良県高市郡明日香村にある栗原塚穴古墳(文武天皇陵)から北に延びる丘陵頂部にあるのが、中尾山古墳。古墳築造の最終末期、8世紀初頭に築かれた八角墳で、25歳の若さで崩御した文武天皇(もんむてんのう)の真陵ではないかと推測さ…
奈良県高市郡明日香村にある国の史跡に指定される八角墳が、牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)。平成21年〜平成22年の発掘調査で、古墳時代終末期(飛鳥時代)の八角墳であることが判明。飛鳥京を築いた第37代斉明天皇(第35代…
奈良県高市郡明日香村、村の南西部、飛鳥歴史公園内キトラ古墳周辺地区の南に位置するのが、キトラ古墳。阿部山の南斜面に築かれた2段構成の円墳(上段が直径9.4m、下段が直径13.8m)で、昭和58年に、「玄武」壁画が発見され…
奈良県高市郡明日香村、飛鳥地方の西南部、桧隈(ひのくま)と呼ばれる渡来人の里(飛鳥歴史公園内高松塚周辺地区)に位置する直径18m(上段)、高さ5mの円墳が高松塚古墳。藤原京期(694年~710年)の築造で、世界文化遺産登…
奈良県高市郡明日香村、飛鳥歴史公園内石舞台周辺地区の中央に位置する日本最大級の方墳が、石舞台古墳。巨大な両袖式の横穴式石室が露呈していることから、古くから石舞台と呼ばれてきました。世界文化遺産登録を目指す「飛鳥・藤原の宮…
奈良県橿原市(かしはらし)、大和三山に囲まれた日本最初の本格的な皇宮の遺構が、藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)。持統天皇8年(694年)完成で、平城京遷都までの16年間、持統、文武、元明の天皇3代が律令国家体制を強力に推進…
奈良県明日香村岡にある飛鳥時代の皇宮跡が、飛鳥宮跡(あすかきゅうせき )。7世紀半ばの皇極天皇の宮殿、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)だけでなく、飛鳥岡本宮(舒明天皇)、飛鳥浄御原宮(天武・持統両天皇)などの…
「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で、福島正則関連の陣跡をめぐるのが福島正則コース。秀吉とは従兄弟(いとこ)という間柄ながら東軍の先鋒を務め、宇喜多秀家軍と激突しています。全行程6.7km、所要1時間45分…
東京都奥多摩町にある東京の水瓶、奥多摩湖。かつてこの湖を渡るロープウェイが運行されていたことをご存知だろうか。小河内観光開発が「東京唯一のロープウェイ」として運行した奥多摩湖ロープウェイで、わずか5シーズンで廃止されたた…
「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で東軍の知将・黒田長政(黒田官兵衛の子)の関連の史跡をたどる散策コースが、黒田長政コース。関ヶ原合戦では事前の調略、そして実際の戦闘でも活躍を見せ、東軍勝利の立役者となって…
岐阜県不破郡関ケ原町、JR東海道本線・関ヶ原駅の西700m、国道21号沿いにあるのが、関ヶ原古戦場・西首塚。関ヶ原合戦では東軍に与し、黒田長政陣に参加した竹中重門(たけなかしげかど=秀吉の軍師・竹中半兵衛の子)が西軍諸将…
西軍の総大将・石田三成は、関ヶ原を一望にできる笹尾山に陣を構え、鶴翼の陣(かくよくのじん)で布陣しています。「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場散策・石田三成コースは、全長9.4km、所要2時間20分のコース…
岐阜県不破郡関ケ原町、岡山烽火場(黒田長政・竹中重門陣跡)の麓、相川の岸にあるのが、関ヶ原古戦場・細川忠興陣跡。妻・玉(ガラシャ)の命を奪った石田三成の眼前に陣を敷き、「越中頭形兜」を被り、5000の兵を率いて黒田長政・…
岐阜県不破郡関ケ原町、徳川家康最後の陣跡近くにあるのが、関ヶ原古戦場・田中吉政陣跡。『関原合戦図志』でも、合戦時の田中吉政隊のはっきりとした布陣地はわかっておらず、石田隊に向かって兵を進めた場所ということで「田中吉政陣跡…
岐阜県不破郡関ケ原町、関ヶ原合戦で西軍の総崩れの中、中央突破で脱出を図った「島津の退き口」ゆかりの地が、関ヶ原古戦場・島津義弘陣跡。小池神明神社の北、すぐ南側に開戦地がある場所で、西軍のほぼ中央に布陣しています。笹尾山に…
古代、大和朝廷から見た東部・北部の原住民の蔑称が蝦夷(えぞ・えみし)で、律令制度の導入により、常陸国府(ひたちこくふ)は現在の茨城県石岡市(石岡小学校敷地内)に7世紀末頃に築かれています。鹿の子遺跡(かのこいせき/石岡市…
「岐阜関ケ原古戦場記念館」が設定する関ヶ原古戦場で徳川家康の足跡をたどる散策コースが、徳川家康コース。最初に布陣した桃配山(ももくばりやま)から、戦況を好転させるために移動した陣場野の徳川家康最後陣地まで、家康進軍の足跡…