旧玉名干拓施設・末広開樋門
熊本県玉名市、「海の万里の長城」と形容された石垣と樋門がある旧玉名干拓地。明治時代に建造された干拓関連施設群は、国の重要文化財に指定。末広開(すえひろびらき)と明丑開(めいちゅうびらき)の接続部分には樋門(ひもん)が設置…
熊本県玉名市、「海の万里の長城」と形容された石垣と樋門がある旧玉名干拓地。明治時代に建造された干拓関連施設群は、国の重要文化財に指定。末広開(すえひろびらき)と明丑開(めいちゅうびらき)の接続部分には樋門(ひもん)が設置…
熊本県熊本市中央区、熊本城三の丸跡にある武家屋敷(移築復元)が旧細川刑部邸。細川家の初代藩主となった細川忠利の弟、細川興孝(ほそかわおきたか)が建てたもの。全国に残る数少ない上流武家屋敷のひとつで熊本県の重要文化財に指定…
沖縄県竹富町、竹富島の北西部、かつて平家の落人、赤山王が住んでいたという言い伝えが残ることからその名がある赤山の丘。昭和28年、住民がこの丘を公園にする際、鉄筋コンクリート構造の物見台として建てたものが、なごみの塔です。…
沖縄県うるま市、伊計島(いけいじま)にある縄文時代晩期~弥生時代前期(沖縄貝塚時代中期)の集落跡がイチの里仲原遺跡(いちのさとなかばるいせき)。沖縄県最大の竪穴式住居跡で、国の史跡に指定されています。海岸には近年まで使わ…
沖縄県石垣市、石垣島・屋良部半島に明治30年に建設された電信施設が電信屋。沖縄本島や日本本土、台湾との通信に利用された軍用海底電信線の中継基地の跡で、軍用だけでなく、一般公衆用通信にも使用されました。建物は、戦争を物語る…
沖縄県島尻郡伊是名村、伊是名島(いぜなじま)の東南、城崎の標高98mの岩山に築かれた城(グスク)が伊是名城(いぜなぐすく)。尚巴志王の祖父・鮫川大主(さめかわうふぬし)が築城したとの伝承がある城で、北麓には尚円王の父・尚…
沖縄県今帰仁村、今帰仁城北麓の親川(エーガー)から今帰仁城に至る往時の登城ルートがハンタ道で、今帰仁城周辺遺跡のひとつ。途中にはナガレ庭、親泊ムラ跡、今帰仁ムラ跡などがあり、グスク交流センター近くから城郭内に入るもの。7…
沖縄県うるま市石川、石川市街、石川港を見下ろす標高87.2mの丘に位置する単郭式の城(グスク)が伊波城(いはぐすく)。城郭内からは、中国産の青磁や白磁、三彩陶器・褐釉陶器・染付・南島産の須恵器などが出土し、伊波按司の交易…
沖縄本島南部の沖縄県糸満市にある琉球三山分立時代(14世紀頃)に栄えた城(グスク)が南山城(島尻大里城)。かつての高嶺間切(間切=地域)にあるため高嶺城とも、島尻大里間切とも呼ばれたため島尻大里城とも呼ばれ、三山時代(琉…
沖縄県名護市の市役所の建物、名護市庁舎は、日本建築学会賞受賞の建物で、象設計集団の設計。鉄骨鉄筋コンクリート造り3階建ての公共施設ですが、地域の住民が集い、祭りや語らいが行なわれる沖縄独特の空間を「アサギ広場」、「アサギ…
沖縄県浦添市を走る県道153号沿いにある城(グスク)跡が伊祖城(いそぐすく)。沖縄最古の貿易港である牧港を見下ろす琉球石灰岩の丘陵上に、13世紀頃に築城された城が伊祖城。英祖王(えいそおう=1260年~1299年/古琉球…
沖縄本島南東部、沖縄県南城市玉城地区の標高150m~190mの台地西側の断崖上に、琉球石灰岩を野面積みと切石積みにした城壁を巡らしたグスク(城)が糸数城(いとかずぐすく)。同じ南城市にある玉城城(たまぐすくぐすく・たまぐ…
沖縄県糸満市、沖縄戦で最後の激戦が行なわれ、米軍のガス弾攻撃で全滅した旧陸軍伊原第三外科壕跡に立つ慰霊碑が有名なひめゆりの塔。沖縄戦中、看護要員として従軍し犠牲となった、沖縄県師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒…
沖縄県久米島町、久米島北部、標高309.9mの宇江城岳の山頂に築かれたグスク時代の城跡(国の史跡)が宇江城城(うえぐすくぐすく)。沖縄の城(グスク)跡としては最高所の場所にあります。築城の時期は定かでありませんが、伊敷索…
沖縄県北中城村(きたなかぐすくそん)、中城城(なかぐすくぐすく・なかぐすくじょう)の北に位置する中村家住宅は、18世紀中頃に建てられた沖縄の上層農家住居の貴重な遺構で国の重要文化財。中村家の先祖である賀氏(がうじ)は、護…
沖縄県那覇市にあった中世に創建された臨済宗の寺、崇元寺(そうげんじ)。壮絶な沖縄戦の戦禍に巻き込まれ寺は廃絶していますが、三連アーチ型の崇元寺石門が現存し、国の重要文化財に指定されています。崇元寺の創建は尚巴志(しょうは…
新垣家住宅(あらかきけじゅうたく)は、沖縄県那覇市国際通りの南東方に広がる壺屋地区、壺屋やちむん通りの奥にある旧家。琉球王府時代に造られた上焼きの御用窯「東ヌ窯」(あがりぬかむ)で、18世紀後半に建てられた母屋や作業所な…
沖縄県那覇市、首里城公園の地下にある地下壕の跡が旧日本軍第三十二軍司令部壕。沖縄戦における日本軍沖縄守備第三十二軍の洞窟軍司令部跡です。昭和19年3月22日、南西諸島方面の防衛強化のために創設されたのが第三十二軍。アメリ…