鈴ヶ森刑場
江戸の入口には東海道沿いの鈴ヶ森刑場(現・東京都品川区南大井)と日光街道沿いの小塚原刑場(荒川区南千住2丁目)、八王子・浅川河原(八王子市大和田町)の大和田刑場と3ヶ所の処刑場がありましたが、慶安4年(1651年)に東海…
江戸の入口には東海道沿いの鈴ヶ森刑場(現・東京都品川区南大井)と日光街道沿いの小塚原刑場(荒川区南千住2丁目)、八王子・浅川河原(八王子市大和田町)の大和田刑場と3ヶ所の処刑場がありましたが、慶安4年(1651年)に東海…
真言宗室生寺派大本山で高野山・金剛峯寺とは異なり、古から女性の参詣が許され「女人高野」と呼ばれた室生寺、その本堂が灌頂堂(かんじょうどう)です。その真言密教の最も大切な法儀、灌頂を行なう堂が灌頂堂で、真言寺院の中心である…
「女人高野」として知られる室生寺(むろうじ)ですが、カメラマンなどに被写体として人気が高いのが五重塔。本堂横の高い石段を上った先に建つ五重塔は、平安時代初期の延暦19年(800年)頃の築で、国宝。法隆寺五重塔に次ぐ古塔で…
室生山の山麓から中腹が境内という「女人高野」、真言宗室生寺派大本山・室生寺(むろうじ)。寄棟造り(よせむねづくり)、杮葺き(こけらぶき)の金堂は平安時代の建築で国宝。斜面を利用した懸造(かけづくり)で、正堂部分は平安時代…
三重県伊賀市にある5世紀頃(古墳時代中期)築造と推測される前方後円墳が御墓山古墳(みはかやまこふん)。墳丘長188mは、三重県一はもちろん、東海・北陸地方では最大の規模を誇っています。仁徳天皇陵(大山古墳)、応神天皇陵(…
愛知県豊川市にある前方後円墳が船山古墳(船山1号墳)。5世紀後半頃(古墳時代中期)の築造で、墳丘長95mは東三河では最大。周辺には三河国府跡(曹源寺)、三河国分寺跡、三河国分尼寺跡(三河国分尼寺跡史跡公園)があり、古代の…
伊賀市にある伊賀国分寺跡の東200mほどのところにあるのが、長楽山廃寺跡(ちょうらくさんはいじあと)。長楽山は寺号ではなく、一帯の地名。つまり長楽山地区にある廃寺という意味です。この古代にあった寺が実は聖武天皇の詔(みこ…
天平13年(741年)、聖武天皇の詔(みことのり)で全国に造られた国分寺(金光明四天王護国之寺)のひとつが伊賀市にある伊賀国分寺。伊賀国分寺跡は、伊賀市街地の東方、名阪国道に隣接していますが、立体交差(高規格道路)のため…
三重県埋蔵文化財センターと上野市教育委員会(当時/現在、上野市は伊賀市に)による発掘調査で判明した古代・伊賀国の政庁、伊賀国庁跡。木津川の支流、柘植(つげ)川右岸の段丘上に位置しています。政庁跡は東西、南北ともに41mの…
三重県松阪市宝塚町・光町にある古墳で、墳丘長は111mという伊勢地方最大の前方後円墳である宝塚1号墳、その北にある帆立貝形古墳の宝塚2号墳の2基で構成されるのが宝塚古墳。一帯は国の史跡に指定されています。かつて周囲には9…
三河湾に臨む愛知県西尾市吉良町にある西三河最大(墳丘長94m)の前方後円墳で国の史跡になっているのが正法寺古墳(しょうぼうじこふん)。周辺は田園地帯ですが、古墳が築造された古墳時代中期前葉(4世紀後葉〜5世紀初頭)には周…
見沼代用水西縁と芝川を結ぶ見沼通船堀西縁(みぬまつうせんぼりにしべり)の南、八丁堤(赤山街道=関東郡代の赤山陣屋と結ぶ街道)沿いにある旧家が鈴木家住宅。見沼干拓事業に参画し、享保16年(1731年)の見沼通船堀の完成と同…
生糸の輸出全盛時代に、新港埠頭と当時の横浜駅(現在の桜木町駅)を結ぶ横浜臨港線として、明治43年8月15日に開通し、明治44年9月1日に横浜港荷扱所として開業したのが横浜港駅。大正9年7月23日付で正式に横浜港駅(よこは…
萩市街の北東、国道191号沿いの丘陵地に建つ萩反射炉。幕末の安政3年(1856年)に長州藩が大砲を造るために建設した反射炉(西洋式の金属溶解炉)で、近世の反射炉としては静岡県韮山とここにしか現存しない貴重なもの。世界遺産…
日本丸メモリアルパーク脇から、新港地区にある横浜ワールドポーターズまでの海上を歩く歩行者専用道が汽車道(きしゃみち)。かつての横浜臨港線の廃線跡で、みなとみらい21地区のホテル群や大観覧車を目に、のんびり歩けるプロムナー…
汽車道に3つ連続するかつての鉄道橋のうち、旧横浜駅(現・桜木町駅側)から3番目にあり、もっとも小さな橋が港三号橋梁。明治39年に架設された北海道炭礦鉄道夕張線の夕張川橋梁の100フィート鈑桁橋(鋼ワーレントラス橋)で昭和…
明治32年に始まった横浜港の新港埠頭の造成にともない明治44年に開通した横浜臨港線の2つ目の橋梁が港二号橋梁。現在は歩行者専用の汽車道の一部として保存されています。港一号橋梁と同様に、明治40年にアメリカン・ブリッジ社で…
明治44年に開通した初代横浜駅(桜木町駅)と新港埠頭を結ぶ臨港線に架橋された橋。現在は汽車道の遊歩道、人道橋として余生を送っています。1907年(明治40年)に、港二号橋梁とともにアメリカン・ブリッジで製作された30フィ…