旧呉鎮守府庁舎(海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎)
戦前は海軍の街、そして日本一の海軍工廠の街として発展した広島県呉市。そのシンボル的な存在が旧呉鎮守府庁舎(海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎)。明治40年に建てられたレンガと御影石(みかげいし)の美しい建物で、日曜日などに限…
戦前は海軍の街、そして日本一の海軍工廠の街として発展した広島県呉市。そのシンボル的な存在が旧呉鎮守府庁舎(海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎)。明治40年に建てられたレンガと御影石(みかげいし)の美しい建物で、日曜日などに限…
広島県呉市両城にある大正時代末期〜昭和初期に丘陵地の宅地開発で誕生した異色の住宅群が両城の階段住宅。戦前は、日本一の海軍工廠(かいぐんこうしょう/工廠=軍需工場)の街と発展。海軍関係者の住宅需要を前提に、急傾斜地が宅地化…
広島県広島市を流れる元安川に架かっていた橋が元安橋で、原爆の爆心地から130mしか離れていなかったことから大きな被害を受け、その一部が旧元安橋モニュメントとして保存されています。旧元安橋は、原爆の爆風により照明装置の笠石…
広島県竹原市、竹原市重要伝統的建造物群保存地区(たけはら町並み保存地区)のメインストリートである本町通沿いに建つのが頼惟清旧宅(らいただすがきゅうたく)。頼山陽(らいさんよう)の祖父、頼惟清が紺屋(こうや=染め物屋)を営…
広島県竹原市、竹原市重要伝統的建造物群保存地区(たけはら町並み保存地区)のメインストリートである本町通沿いに建つ代表的な商家で、一般公開されている2軒の「浜旦那」(塩田主)の邸宅のうちのひとつが松阪家住宅(松阪邸)。建物…
広島県竹原市、竹原市重要伝統的建造物群保存地区(たけはら町並み保存地区)のメインストリートである本町通沿いに建つのが竹原市歴史民俗資料館。昭和5年に町立竹原書院図書館として建てられた擬洋風建築を資料館に再生したものです。
広島県庄原市東城町、帝釈峡の自然と歴史を展示解説する博物館が庄原市帝釈峡博物展示施設 時悠館。国の史跡に指定される寄倉岩陰遺跡を中心に、旧石器時代から縄文時代にかけての50ヶ所もの岩陰・洞窟遺跡が集中する帝釈峡遺跡群を詳…
広島県庄原市東城町、雄橋、白雲洞などのの上帝釈峡(かみたいしゃくきょう)地区への探勝入口にある岩陰・洞窟遺跡が寄倉岩陰遺跡(よせくらいわかげいせき)。帝釈峡の石灰岩地帯に50ヶ所以上ある石灰岩洞窟を利用した岩陰・洞窟遺跡…
兵庫県たつの市龍野町、霞城館・矢野勘治記念館近く、上霞城地区にある資料館がたつの市武家屋敷資料館。鉄砲師や鍛冶職として藩に仕えた芝辻平左衛門の武家屋敷を再生したもの。建物自体を歴史的資料として保存、公開したもので、復原さ…
兵庫県神戸市兵庫区西出町にある往時の兵庫津に高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)が交易の拠点を構えたとされる地が高田屋嘉兵衛本店の地。高田屋嘉兵衛は、淡路島・都志(現・洲本市五色町都志)の出身ですが、叔父の堺屋喜兵衛(廻船問屋…
兵庫県洲本市五色町都志、五色バスセンターの向かい(北側)にある小さな園地が、高田屋嘉兵衛邸宅跡(たかたやかへえていたくあと)。司馬遼太郎 『菜の花の沖』の主人公・高田屋嘉兵衛は、蝦夷地・箱館(函館)を拠点に北方の漁場を開…
兵庫県丹波市柏原町にある明治18年築の擬洋風学校建築の建物を再生したミュージアムがたんば黎明館。明治18年、氷上郡各町村組合立高等小学校として建築され、明治42年から氷上郡立高等女学校として多くの人材を輩出した学校で、平…
兵庫県たつの市新宮町にある縄文時代から平安時代にかけての集落遺跡が、新宮宮内遺跡(しんぐうみやうちいせき)。弥生時代中期が全盛期とされる遺跡で、発掘される分銅形土製品(ふんどうがたどせいひん)は兵庫県内最多の出土数を誇り…
兵庫県たつの市新宮町馬立(うまたて)にある円墳が姥塚古墳(うばづかこふん)。馬立古墳群32基のひとつで、馬立1号墳とも呼ばれ、兵庫県の史跡になっています。直径18.5m、墳高6mの円墳で、古墳時代後期の6世紀後半の築造と…
兵庫県たつの市龍野町にある中世から近世の城跡が龍野城。明応8年(1499年)、播磨の国を支配していた赤松政則(あかまつまさのり)が一族の赤松村秀のために鶏籠山の頂きに築城した山城が始まり。藩政時代には山麓の平山城が脇坂1…
兵庫県姫路市御国野町、播磨国分寺跡(はりまこくぶんじあと)の寺域の北側に建つのが牛堂山国分寺(うしどうさんこくぶんじ)。播磨国分寺の後継寺院で、山門は奈良時代に聖武天皇の詔で建立された播磨国分寺の金堂のあった場所で(巨大…
兵庫県小野市にある自然公園で、中世の山城、金鑵城(かなつるべじょう)の跡が金鑵城遺跡広場(夢の森公園)。ローラーすべり台やアスレチック遊具などが整備される夢の森公園に一角に金鑵城遺跡広場があります。弥生時代の高地性集落、…
兵庫県佐用郡佐用町(さようちょう)にある中世の城跡が佐用城(福原城)。建武年間(1334年~1338年)に佐用範家(さようのりいえ)が築城した平山城。赤松氏36人衆のうちの福原氏が城主となったため福原城とも呼ばれています…