革堂(行願寺)
西国三十三所の第19番札所が革堂(こうどう)と通称される行願寺(ぎょうがんじ)。平安時代の寛弘元年(1004年)創建という京の古刹です。創建当時は一条通りに建っていましたが豊臣秀吉の京の都市改革よって天正18年(1590…
西国三十三所の第19番札所が革堂(こうどう)と通称される行願寺(ぎょうがんじ)。平安時代の寛弘元年(1004年)創建という京の古刹です。創建当時は一条通りに建っていましたが豊臣秀吉の京の都市改革よって天正18年(1590…
長元2年(1029年)、源算上人が創建した京都・西山の名刹で、後一条天皇より国家鎮護の勅願所とされたのが善峯寺(よしみねでら)。天台宗の単立寺院で、西国三十三所第20番札所。応仁の乱で焼失した寺を再興したのは、5代将軍・…
慶雲2年(705年)、大伴古磨(おおとものこまろ)によって創立されたと伝わる古刹が京都府亀岡市の穴太寺(あなおじ)で、菅原道真も太宰府に流される折に立ち寄っています。西国巡礼を復活させた花山(かざん)法皇(在位984〜9…
大分県臼杵市(うすきし)にある磨崖仏(まがいぶつ=岩肌に刻まれた仏像)で、阿蘇山から噴出した火砕流が溶結してできた、阿蘇溶結凝灰岩という軟質の石に彫られた石仏群が国宝臼杵石仏。4エリアに分かれ、地名によって「ホキ石仏第1…
全国に広がる4万社あまりの八幡宮の総本社が、大分県宇佐市に鎮座する宇佐神宮(うさじんぐう)。別名は宇佐八幡宮で、石清水八幡宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮のひとつに数えられ、豊前国の一之宮にもなってい…
京都、愛宕山系の高雄山の中腹にある真言宗の別格本山が神護寺(じんごじ)。高雄、槇尾、栂尾の三尾(さんび)きっての古刹で、天応元年(781年)の創建。もとは平安遷都に尽力した和気清麻呂(わけのきよまろ)の氏寺で大同4年(8…
京都御苑の西側を通る烏丸通(からすまどおり)に面した護王神社。平安京造営に貢献した、和気清麻呂(わけのきよまろ)が祀られる神社です。護法善神」として祀られたかつての社殿は神護寺の境内にありましたたが、神仏分離令を経て明治…
修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)にほど近い天台宗の寺で、比叡山延暦寺の別院が赤山禅院(せきざんぜんいん)。円仁(えんにん=慈覚大師)の遺命により仁和4年(888年)、天台座主・安慧(あんね)が創建。京都御所から見て表鬼…
大同元年(806年)頃、空海が皇城鎮護のため鬼門にあたる佐渡に建立したと伝えられる真言宗智山派の古刹が蓮華峰寺(れんげぶじ)。小比叡山と称し、周囲の山が八葉の蓮華形をしていることから蓮華峰寺と名付けられています。境内には…
沖縄本島南部、久高島を眼前にする南城市(旧玉城村)にあるグスク(城)が玉城城(たまぐすくぐすく)。玉城(たまぐすく)の久高島には琉球開闢の神・アマミキヨが上陸したといわれ、その聖地が残されていますが、玉城城も城としては規…
守礼門後方にある御嶽(うたき=琉球信仰の聖地)で、その前に拝所である石門が築かれており、それが園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。琉球王府の行事「東御廻り」(あがりうまーい=拝所を巡礼する行事)の第1番目の拝所…
大同3年(808年)、京から布教に訪れた僧・賢法が建立したと伝えられる佐渡市新穂(にいぼ)地区にある真言宗豊山派の古刹、清水寺(せいすいじ)。京の清水寺を模したことが名の由来。観音堂の「救世殿」(ぐぜでん)の姿はまさに清…
宇賀福神が、源頼朝の夢枕に立ち、佐助ヶ谷に湧く霊水で神を祀れば、天下太平に治まるというお告げを受けて建立された神社が銭洗弁天と通称される銭洗弁財天宇賀福神社。もとは国家鎮護のために造営されたわけなのですが、今では金運上昇…
応永22年(1415年)、日隆聖人によって創建された法華宗本門流の本山が本能寺。天正10年6月2日(1582年6月21日)、明智光秀が主君である織田信長を裏切り、信長が自刃した「本能寺の変」で広く知られています。本能寺の…
明治4年、神仏分離が行なわれた際に熊本城内に創建された神社が加藤神社(当時は錦山神社と称していました)。熊本城内に陸軍の熊本鎮台が置かれるということで城外の新堀町(現在の在京町)に移転しましたが、昭和37年に再び城内の本…
島根県内では出雲大社に次いで参拝者が多いのが津和野町の太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)。参道から社殿までの約250m、1000本もの赤い鳥居のトンネルが、まるで山を登るように連なって見えるので、最近ではフォトジ…
京都・大原野、大原野神社向いにある天台宗の古刹が十輪寺で、本尊は延命地蔵菩薩。六歌仙のひとり在原業平(ありわらのなりひら)が晩年に隠棲(いんせい)した地と伝わり、業平寺(なりひらでら)とも、文徳天皇の御妃・染殿皇后(そめ…
7世紀後半、百済(くだら)の16代・辰斯王(4世紀末)の王子で日本に帰化した辰孫王の子孫、葛井連広成(ふじいのむらじひろなり=白猪史広成・しらいのふひとひろなり) が当時の天皇の仏教興降政策に協力して創建と伝えられる古刹…