河口湖・産屋ヶ崎
山梨県富士河口湖町、河口湖東岸に突き出した絶景の岬が、産屋ヶ崎(うぶやがさき)。波が静かな晴天時には、湖面に逆さ富士が映り込むポイントとして、人気が高い場所です。裾野を長く引く富士山と湖という眺めは、写真家の岡田紅陽(お…
山梨県富士河口湖町、河口湖東岸に突き出した絶景の岬が、産屋ヶ崎(うぶやがさき)。波が静かな晴天時には、湖面に逆さ富士が映り込むポイントとして、人気が高い場所です。裾野を長く引く富士山と湖という眺めは、写真家の岡田紅陽(お…
長野県千曲市の三峯山(1131.4m)の北東麓に広がる棚田が、姨捨の棚田(おばすてのたなだ)。初夏に水を張った棚田に、月が映り込む風景は、田毎の月(たごとのつき)として江戸時代から有名。歌川広重の『六十余州名所図会』にも…
俳人・松尾芭蕉の門下生であり、芭蕉十哲のひとり、向井去来(むかいきょらい)が晩年を過ごした草庵跡が京都市嵯峨野の落柿舎(らくししゃ)。去来はここを、身分の差なく、誰もが自由に出入りできる俳句道場とすることを旨とし、土間の…
2024年7月6日(土)~7月14日(日)、山形県天童市で『第37回おくのほそ道天童紅花まつり』が開催されます。天童温泉から車で10分ほど、上貫津(かみぬくづ)の紅花畑を会場に、紅花の見頃に行なわれるイベントです。俳聖・…
栃木県栃木市惣社町にある古社が大神神社(おおみわじんじゃ)。惣社町という町名が示すとおり、大神神社は、律令制確立期の奈良時代〜平安時代、下野国の総社だった神社です。都から下野国の国庁に赴任した国司は、この大神神社に祀られ…
栃木県那須町の那須湯本温泉にある有毒な火山ガスが噴出する噴気地帯。鳥獣が近づけば命を落とすことから殺生の石と呼ばれてきました。『奥の細道』途中の松尾芭蕉が訪れるなど、昔から有名な場所。那須国立公園の景勝地の一つで、殺生石…
俳聖殿(はいせいでん)は、昭和17年に松尾芭蕉生誕300年を記念し、現・伊賀上野城天守の建築に奔走した川崎克(かわさきかつ)が私費を投じて三重県伊賀市に建てられた施設。伊賀上野出身の俳聖・松尾芭蕉を顕彰するために建てられ…
危ういものの代名詞として歌枕としても知られる木曽の桟(きそのかけはし)。 長野県木曽郡上松町の木曽川沿いに続く、中山道(なかせんどう)の難所。松尾芭蕉の「桟橋や命をからむ蔦葛(つたかずら)」(『更科紀行』)など、多くの文…
日光山中、男体山、富士見峠、帝釈山から流れる荒沢川に懸かる落差45m、幅2mの滝が裏見の滝。深山幽谷の風情があり、華厳の滝、霧降の滝とともに日光三名瀑のひとつに数えられています。滝を裏側から眺められることが、その名の由来…
羽黒山(現在の出羽三山神社、江戸時代までは羽黒権現)の表参道は、随神門(旧仁王門)をくぐり五重塔脇の石段を上る道で、樹齢350年から500年の杉並木の中を上っていきます。全長1.7km、2446段の長い石段の道は、途中一…
羽黒山山頂に建つ出羽神社三神合祭殿は出羽三山信仰の中心となる存在で、月山・羽黒山・湯殿山の三神を合祭した聖地。月山、湯殿山は、冬期間積雪のため参拝できないことから、三神を祀るようになったといわれています。明治維新以前の神…
羽黒山の登拝口の随神門から継子坂(ままこざか)を下った祓川の谷合にある禊(みそぎ)の地が須賀の滝。承応3年(1654年)、出羽三山中興の祖といわれる天宥(てんゆう)が山中に堰を巡らせ、8kmほど離れた水呑沢から導水した水…
山形県山形市、山寺と通称される立石寺(りっしゃくじ)の百丈岩(ひゃくじょうがん)へと続く参道の途中には、せみ塚があります。せみ塚は、元禄2年5月27日(1689年7月13日)、『奥の細道』途中の芭蕉が立石寺で詠んだ「閑か…
山寺と通称される立石寺(りっしゃくじ)は、元禄2年5月27日(1689年7月13日)、『奥の細道』の途中の芭蕉と曽良が訪れたことで有名で、有名な「閑かさや岩にしみいる蝉の声」を詠んだことで知られています。境内には昭和47…
松尾芭蕉は『奥の細道』行脚の途中、元禄2年5月27日(1689年7月13日)に尾花沢から立石寺を訪れ、有名な「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の句を詠んでいます。根本中堂の脇には、幕末の嘉永6年(1853年)、門人により建立…
山寺と通称される宝珠山立石寺(山形県山形市)は、比叡山延暦寺の分院で、貞観2年(860年)に円仁(慈覚大師)が創建。本堂にあたる根本中堂は、延文元年(1356年)、初代山形城主・斯波兼頼(しばかねより)が再建したもので、…
出羽三山の一つ湯殿山は、標高1500mで月山に連なり、湯殿山神社はその北側の渓流の畔に鎮座する神社。六十里越街道から湯殿山有料道路に入り、終点の駐車場から徒歩かシャトルバスを利用。御神体は湯がこんこんと湧き出す茶褐色の巨…
羽黒山(出羽神社)の五重塔は、平安時代に平将門(たいらのまさかど)が創建と伝えられ、文中元年(1372年)、庄内領主で羽黒山別当の大宝寺政氏(だいほうじまさうじ=武藤政氏)が大修復(再建)を行なったという記録が残されてい…