久能山東照宮
日本平からロープウェイで5分の久能山駅から徒歩1分の久能山山頂に鎮座するのが久能山東照宮。1616(元和2)年4月17日、75歳の徳川家康が駿府城で没した際、その遺言により、山上にあった久能城を廃城にし、2代将軍・秀忠の…
22静岡県日本平からロープウェイで5分の久能山駅から徒歩1分の久能山山頂に鎮座するのが久能山東照宮。1616(元和2)年4月17日、75歳の徳川家康が駿府城で没した際、その遺言により、山上にあった久能城を廃城にし、2代将軍・秀忠の…
13東京都鬼子母神(きしもじん)は、もともと夜叉神(やしゃがみ)の娘。たいへん暴虐で子どもをつかまえて食べてしまう恐ろしい鬼女でしたが、釈迦に諭され改心してからは、安産・子育の守り神として庶民の信仰を集めました。現存する豊島区雑司…
28兵庫県805(延暦24)年、最澄(伝教大師)が唐(中国)からの帰途、兵庫の和田岬に上陸。自刻の薬師如来像を安置し、能福護国密寺を開いたのが始まりという天台宗の古刹が能福寺。寺伝によれば日本で最初の密教の教化霊場ということに。平…
26京都府京都を流れる桂川にかかる橋で嵐山のシンボル的存在。左岸と中州である中ノ島公園とを結んでいます。承和年間(834年〜848年)に僧・道昌が架橋したのが最初で、鎌倉時代に亀山上皇が月が傾いていくのを眺めて「くまなき月の渡るに…
26京都府醍醐山一帯に広大な敷地を占める真言宗醍醐派の総本山が醍醐寺(だいごじ)。豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」で有名な寺です。醍醐とは仏の悟りや教えのこと。世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産にもなっています。上醍醐にある准胝…
26京都府嵐山の渡月橋の北、広大な寺地を誇るのが臨済宗天竜寺派の総本山、天龍寺。1339年(延元4)、足利尊氏(あしかがたかうじ)が後醍醐天皇供養のため、夢窓国師を開山とし後嵯峨天皇の仙洞御所、亀山上皇が仮御所を禅寺に改めた名刹。…
27大阪府京、方広寺に鋳造された鐘に刻まれた銘文(方広寺鐘銘事件)から発展した豊臣勢力に対する厳しい処置。その後、大坂夏の陣が起こり、大坂城の堀が埋め立てられ、ついに慶長20年5月8日(1615年6月4日)、大坂夏の陣で、豊臣秀頼…
14神奈川県神奈川県高座郡寒川町にある相模国(さがみのくに)一之宮が寒川神社。相模川河口から7kmほど内陸に鎮座していますが、現社地が往時の河口と推測できます。さらに上流にはかつて相模国分寺があり、古代の相模国の中心だった場所です。…
39高知県気象物理、水産物理、地震研究、航空物理など各分野で大きな足跡を残し、夏目漱石の門下生・吉村冬彦として、数多くの随筆を記し、「天災は忘れた頃にやってくる」の名言で知られる寺田寅彦。寅彦が4〜19歳まで過ごした旧宅を記念館と…
26京都府徳大寺家の別荘だったものを1450(宝徳2)年、細川勝元が譲り受け、妙心寺の義天和尚を開山とし禅寺に改めたのが龍安寺。応仁の乱の際に焼失後、勝元の子・政元が再興。1499(明応8)年に方丈が再建され、このとき方丈庭園とし…
26京都府徳川家康が京都の守護と上洛時の宿泊場所として1603(慶長8)年に築造し、3代将軍・徳川家光が伏見城の遺構を移すなどして1626(寛永3)年に完成したのが二条城(元離宮二条城)。1867(慶応3)年に15代将軍・慶喜が大…
26京都府浄土真宗本願寺派の大本山が本願寺(西本願寺)。1272(文永9)年、親鸞の娘・覚信尼(かくしんに)が東山大谷に創建した大谷廟堂が起源。3世・覚如(かくにょ)の時代に大谷廟堂を寺院化して本願寺と称しました。戦国時代には寺地…
22静岡県浜松市街の犀ヶ崖公園(さいががけこうえん)の北、国道257号(姫街道)沿いの地に立つ石碑が夏目次郎左衛門吉信(夏目吉信)の碑。犀ヶ崖古戦場の一角に位置するこの地は、夏目次郎左衛門吉信が「我こそは家康なり」と影武者に徹して…
22静岡県上洛を狙う武田信玄に対して、織田信長と同盟を結び、遠州へと進出した徳川家康が激突した三方ヶ原の戦い。この戦で徳川家康は大敗を喫して、命からがら浜松城へと逃げ帰りますが、撤退する徳川軍の中で、最後尾となる殿(しんがり)を買…
22静岡県明治19年、引間城跡に旧幕臣・井上延陵(井上八郎)が創建したのが元城町東照宮(浜松東照宮)。徳川家康立身出世の地に家康を祀る東照宮がないのはどうしたことかと考えた井上延陵は、引間城跡に東照宮を建立。境内には徳川家康は31…
22静岡県徳川家康の第3子で、徳川第2代将軍(在職1605年~1623年)となった徳川秀忠(幼名・長丸)の産湯の井戸が浜松市街にある徳川秀忠公誕生の井戸。現在は遠州鉄道遠州病院駅前の交番裏手にありますが、本来の場所は50mほど西。…
22静岡県引間城(曳馬城・引馬城=現在の浜松東照宮の地にあった中世の城)の女城主・お田鶴の方(亀姫君)は、三河を統一した松平家康(徳川家康)に攻め落とされますが、最後まで城を死守した女丈夫に感動した家康は、お田鶴の方(おたづのかた…
22静岡県三方ヶ原の合戦で大敗した徳川軍が、浜松城に逃げ帰ったその夜、一矢報いようと武田軍に夜襲をかけたのが犀ヶ崖の戦い。犀ヶ崖資料館はもともと三方ヶ原合戦での徳川軍2000人、武田軍200人という戦死者を祀った宗円堂が前身。三方…