知恩院・三門
知恩院の三門は、1621(元和7)年、2代将軍・徳川秀忠が再建した巨大な門。高さ24m、幅50m、屋根瓦約7万枚という現存する木造建築として最大の楼門で、国宝。空・無相・無願という、悟りに通ずる三つの解脱(げだつ)の境地…
知恩院の三門は、1621(元和7)年、2代将軍・徳川秀忠が再建した巨大な門。高さ24m、幅50m、屋根瓦約7万枚という現存する木造建築として最大の楼門で、国宝。空・無相・無願という、悟りに通ずる三つの解脱(げだつ)の境地…
仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する堂が金堂。慶長年間造営の御所・内裏紫宸殿(ししんでん)を寛永年間(1624年〜1643年)に移築されたもので国宝。徳川家の御大工(おんだいく)といわれた江戸幕府大工棟梁・中井正清(な…
越前町の越前海岸の高台、梨子ヶ平(なしがだいら)地区の世帯(農家数15戸)は、そのすべてが水仙栽培農家で、周囲の傾斜地にはいたるところに水仙畑が広がっています。しかも千枚田のような景観なので、梨子ヶ平千枚田水仙園と呼ばれ…
越前海岸の突端にある岬が越前岬で、海抜132mの断崖の上には昭和15年に初点灯した白亜の越前岬灯台が建っています。一帯は越前加賀海岸国定公園に指定され、海岸段丘の上は水仙の畑。11月〜2月にかけて水仙が咲き乱れ、遊歩道を…
越前水仙が群生することで知られている越前海岸の一角、国道305号沿いにある公園が越前水仙の里公園。常時500本〜2000本の水仙が花を咲かせ甘い香りが漂う水仙ドームと、水仙にまつわる歴史や文化などが学べる水仙ミュージアム…
洲本市の中央に鎮座する厳島神社。地元では淡路島弁財天と呼ばれています。祭神は、安芸の宮島・厳島神社(総本社)と同じで「宗像三女神」の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。神仏習合時代には仏教の女神の弁財天と習合していたた…
淡路島の北端、明石海峡に面した江崎に明治4年に建設された石造灯台が江埼灯台。設計は灯台の父と呼ばれるR.H.ブラントンで、1867(慶応3)年、徳川幕府と英国公使が兵庫開港に備えて結んだ大坂条約によって建設された5基(江…
北九州市小倉区にある福聚寺は、宇治の黄檗宗(おうばくしゅう)萬福寺の末寺。1665(寛文5)年、小倉小笠原の初代藩主・小笠原忠真(おがさわらただざね=信州松本藩から明石藩を経て小倉に転封)が創建したもので、開山は福建省福…
かつての小倉城主、小笠原氏が茶の湯や能を楽しみ、客をもてなした下屋敷(したやしき)の跡を復元し、大名庭園と書院を再現した北九州市立の文化施設が小倉城庭園。「小笠原流礼法」の宗家でもある旗本・小笠原家も一族で、全国的にも珍…
「恐れ入谷(いりや)の鬼子母神(きしもじん)。びっくり下谷の広徳寺。そうで有馬の水天宮」というのは江戸っ子の洒落。入谷は山手線鶯谷界隈の地名。恐れ入るということを洒落て、入谷の真源寺に祀られる鬼子母神を掛けたものです。境…
和歌山市の無量光寺にある頭部のみの大仏(盧舎那仏)が通称「首大仏」(おぼとけ)。今は廃寺となった大福寺に江戸時代中期の享保年間(1716年〜1736年)に建立された大仏がルーツですが、その大仏は丈六仏(4.8m)。現在の…
鬼子母神(きしもじん)は、もともと夜叉神(やしゃがみ)の娘。たいへん暴虐で子どもをつかまえて食べてしまう恐ろしい鬼女でしたが、釈迦に諭され改心してからは、安産・子育の守り神として庶民の信仰を集めました。現存する豊島区雑司…
富山県砺波市庄川町を走る国道156号沿いに建つ光照寺(真宗大谷派)境内にある緑色の大仏(阿弥陀如来座像)が庄川大仏。高岡市の高岡大仏(大佛寺)、射水市の小杉大仏(蓮王寺)と並んで「富山三大大仏」の一つに数えられています。…
福岡市地下鉄空港線祇園駅からすぐにある古刹が東長寺(とうちょうじ)で、山号は南岳山。寺伝では、806(大同元)年、唐から帰国した空海が、日本で最初に開いたといわれる真言密教の寺とされ、この西の地から、東に少しずつ広がるよ…
青森市にある高野山の青森別院が青龍寺。境内にある昭和大仏は、青銅坐像では日本一という高さ21.35m(台座を除く)の大日如来像。青森ヒバ造りの五重塔は、塔高39mで日本第4位の高さを誇っています。昭和57年、高野山東京別…
東大阪市の石切剣箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)近くに鎮座するのが石切大仏。精力ドリンク「赤まむし」などを製造・販売するサカンポー(阪本漢方製薬)の4代目・阪本昌胤氏が創業地である東大阪市石切町に建立したのが、知る人ぞ…
昭和62年に落慶した大師山清大寺(だいしざんせいだいじ)は、臨済宗妙心寺派の寺。身の丈17.0mと奈良の大仏を凌ぐ大きさの「越前大仏」(本尊の毘盧遮那仏)は、中国河南省洛陽市郊外の龍門石窟のなかにある、竜門奉先寺座像をモ…
名古屋市千種区にある曹洞宗の寺、桃巌寺(とうがんじ)。室町時代の天文年間(1532年〜1555年)、末森城主・織田信行(織田信長の弟)が父・織田信秀の菩提を弔うために、愛知郡鳴海荘末森村二本松(現在の千種区穂波町付近)に…