久松公園
「お城山」と呼ばれる標高263mの久松山(きゅうしょうざん)にある7.37haの公園。16世紀半ばに築城されたという鳥取城の米蔵跡、二の丸、天球丸跡を公園として整備したもので、園内には石垣も残っています。二の丸を中心に2…
「お城山」と呼ばれる標高263mの久松山(きゅうしょうざん)にある7.37haの公園。16世紀半ばに築城されたという鳥取城の米蔵跡、二の丸、天球丸跡を公園として整備したもので、園内には石垣も残っています。二の丸を中心に2…
因幡の国人領主・志加奴氏(鹿野氏)の居城が鳥取市鹿野町にある鹿野城。1544(天文13)年、因幡に侵入した尼子晴久の攻撃で、落城。1580(天正8)年、羽柴秀吉の鳥取城攻撃の際に織田方になり、亀井茲矩(かめいこれのり)が…
1580(天正8)年、羽柴秀吉の因幡平定の際に、陣を築いたと伝わるお城山(天秤山)に建つふるさと創生事業で築かれた模擬天守。1階〜3階は旧河原町を紹介する展示コーナー、最上階が展望台となっています。戦国時代には丸山城があ…
中海に臨む標高90.5mの湊山に築かれた近世の名城で、国の史跡に指定されています。戦国時代末期の1591(天正19)年に吉川広家(きっかわひろいえ)が月山の富田城から城を米子に移し四重櫓を建設したのが始まり。すでに中世的…
天文6年(1545年)、因幡国守護・山名誠通(やまなのぶみち)が千代川を見おろす標高263.0mの久松山(きゅうしょうざん)に築いた城が鳥取城。久松山は花崗岩からなる急峻な山で天然の要害でした。戦国時代には秀吉軍の過酷な…
館山市の城山公園には、丸岡城を模して昭和57年に再建された模擬天守として館山城(館山市立博物館本館)が建っていますが、11月下旬~12月上旬にはモミジ、イチョウの紅葉・黄葉が見頃を迎えます。千葉県がPRする「日本一遅い紅…
下総台地の西端、江戸川に面した台地上に広がる市川市の公園。里見公園と呼ばれるのは、中世に里見氏と北条氏の激戦の国府台城だったから。国府台という地名は、下総国(しもうさのくに)の国府(現在の県庁にあたる地方の行政機関)が台…
久留里市街の東に位置する標高140mほどの尾根筋を利用した山城で、戦国時代には上総に進出した里見氏の小田原北条氏に対する軍事拠点となった場所。最初の築城は、上総武田氏の祖・武田信長が1455(康正1)年に上総守護代に任ぜ…
「四稜郭(しりょうかく)を知っていますか?」この質問を函館界隈の観光関係者に投げかけると、なぜ、そんな当たり前のことを聞くのかという顔で、「もちろん知ってますよ。ほら、小さいですがパンフにも載っています」なんて答えが必ず…
国宝松本城(松本城公園)をスタート地点に、アルプスの展望ポイントや、温泉地、歴史の名所を訪ね歩く、2日間のウォーキングイベント。2016年から地図だけを手掛かりに「印所」を探し出し、そこに置かれた「印判」を集めながらゴー…
五稜郭(ごりょうかく)は、幕末に箱館(現在の北海道函館市)郊外に建造された西洋式(稜堡式)の城郭。函館を代表する観光スポットで、明治維新の際に官軍と旧幕府軍の攻防でも有名です。ところが、日本にはもうひとつ、五稜郭がありま…
小諸城は、日本唯一といえる「穴城」。どうして穴城かといえば、城の玄関口である大手門がもっとも標高の高い場所にあり、本丸がもっとも低地にあるため。本丸を城郭の片隅に配置する梯郭式(ていかくしき)という縄張りですが、このスタ…
「天下分け目」といわれた関ヶ原の合戦には、実は徳川の本隊は戦闘に参加していません。徳川秀忠率いる徳川本隊は、総勢3万8000人という大軍。家康軍が東海道を進軍したのに対し、秀忠の徳川本隊を碓氷峠を越えて中山道を進みます。…
上田市真田町にある「真田氏歴史館」。その西側に広がる御屋敷公園が上田城築城以前の真田氏の居館です。平時にはこの居館を利用し、いざというときには山城の真田本城を使いました。中世(戦国時代)の居館ですから建物などは残されてい…
江戸時代に作成された『真田家系図』によれば、NHK大河ドラマ『真田丸』で注目の真田一族(真田氏)のルーツは、信州・真田(さなだ)。信濃小県郡の名族・海野氏(うんのし)の出身の真田幸隆(さなだゆきたか)が小県郡真田郷を拝領…
2019年9月13日(金)~9月16日(月・祝)、松本市で『第20回国宝松本城月見の宴』を開催。毎年、中秋の名月(十五夜)の期間に、松本城の本丸庭園を夜間開放し、ライトアップされた松本城天守を背景に、野外生花、琴やフルー…
徳川秀忠(徳川本隊/『真田丸』では星野源が好演)が上田城攻略に難儀して関ヶ原の戦いに遅刻したのは有名な話。その上田城攻略に際して、小諸城に構えたのが二の丸の本陣です。というわけで、大河ドラマ『真田丸』の舞台のひとつとして…
小田原市のマンホールには小田原城、箱根連山の山並みと富士山、輦台(れんだい)で川を渡る様子がデザインされています。城下町・小田原は東海道五十三次の江戸から数えて9番目の宿場町でもあったのです。