法隆寺・伝法堂
法隆寺の東院伽藍にある講堂が伝法堂。建物は、739(天平11)年の建立で、聖武天皇の橘夫人の邸から移築したもので国宝。現存する奈良時代の貴族住宅で唯一の遺構です。平面が7間×4間、瓦葺きの建物ですが、創建当時は、5間×4…
法隆寺の東院伽藍にある講堂が伝法堂。建物は、739(天平11)年の建立で、聖武天皇の橘夫人の邸から移築したもので国宝。現存する奈良時代の貴族住宅で唯一の遺構です。平面が7間×4間、瓦葺きの建物ですが、創建当時は、5間×4…
法隆寺の鐘楼は、西院伽藍、東院伽藍それぞれにあり、ともに国宝。回廊で囲まれた中に八角円堂の夢殿が建ち、回廊南面には礼堂、北面には絵殿・舎利殿、伝法堂が建っていますが、絵殿・舎利殿、伝法堂の西に建つのが鐘楼です。『法隆寺別…
法隆寺の奈良時代の仏教建築の特色を示す双蔵(ならびくら)のひとつ、高床の倉が綱封蔵(こうふうぞう)で国宝。創建時には33ヶ所ありましたが現存するのは日本最古の食堂(じきどう)の南側、鏡池近くにあるひとつだけ。寺宝を保管す…
法隆寺でもっとも巨大な建築物である西院伽藍・大講堂の前方東脇に、経蔵と相対して建つのが鐘楼。奈良時代創建の鐘楼は925(延長3)年に落雷により講堂とともに焼失。現存する鐘楼は10世紀末頃に再建されたもので国宝。再建時に、…
601年に造営された聖徳太子の宮殿、斑鳩宮(いかるがのみや)跡に739(天平11)年、法隆寺東院の復興に尽力した行信(ぎょうしん)が創建した上宮王院(じょうぐうおういん=夢殿・伝法堂・絵殿・舎利殿からなる社殿)の聖堂が夢…
法隆寺の金堂、五重塔などがある西院伽藍から、夢殿のある東院伽藍への途中にある奈良時代建立の八脚門が東大門(とうだいもん)で国宝。西院伽藍、東院伽藍の間にあるもんということで「中ノ門」とも呼ばれています。現存する日本最古の…
法隆寺の大宝蔵院は平成10年に落成した数ある寺宝を収蔵する宝物館で百済観音堂および東宝殿、西宝殿からなる現代版の双蔵(ならびくら)。西院伽藍の北東に建ち、国宝や重要文化財に指定される宝物を収蔵、見学することができます。
世界遺産「法隆寺地域の仏教建築物」に登録される法隆寺の中で、飛鳥建築の粋を集めた建造物群が西院伽藍。西院の入口である中門とともに西院伽藍全体が国宝に指定されています。金堂と塔が横に並び、奥に講堂がある伽藍配置の形式を法隆…
法隆寺のなかで最大の建造物が西院伽藍にある大講堂。僧侶が学問を研鑽したり、法要を執り行なうための施設で、創建時のものは鐘楼とともに925(延長3)年の落雷で焼失。現存する建物は990(正暦元)年に再建されたもので国宝。元…
法隆寺の本尊を安置する堂が西院伽藍の金堂。本尊である金銅釈迦三尊像は、623(推古天皇31)年、聖徳太子の冥福を祈って、渡来系の仏師・鞍作止利(くらつくりのとり)に造らせたもの。中国北魏様式の影響を伝えるもので国宝。外観…
基壇からの高さ31.5mで、現存する日本最古の国宝五重塔が法隆寺西院伽藍の五重塔。五重塔の原形はインドのストゥーパーといわれ、本来は釈迦の遺骨を奉安するためのもの。中国で楼閣スタイルとなって仏教建築として日本に伝えられま…
世界遺産の法隆寺には南大門、西大門、そして夢殿のある東院の入口にある東大門と3つの門がありますが、正門にあたるのが南大門。創建時の建物は、1435(永享7)年に焼失し、現存する建物は1438(永享10)年の再建で、単層入…
法起寺(ほうきじ)は、別名、岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺とも呼ばれる寺で、聖徳宗の総本山。聖徳太子が法華経を講じたという岡本宮(おかもとのみや)を、その子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)が638(舒明10)年…
法起寺は、天平時代の記録に池後尼寺とあることから、もともとは尼寺として創建されたことがわかっています。伽藍配置は、塔を東に、金堂(現在の聖天堂の場所にあった)を西に配したもので、法隆寺西院伽藍とは逆の配置となっています。…
南都六宗の一つである律宗の総本山が唐招提寺。唐の高僧、鑑真和上(がんじんわじょう)が聖武天皇に招かれて苦難の末に来日し、759(天平宝字3)年、新田部親王(にいたべしんのう)の旧邸を譲り受けて創建した寺。当初は唐律招提と…
唐招提寺の巨大な講堂の東にある南北に細長い建物が礼堂(らいどう)。鎌倉時代の築で国の重要文化財に指定されています。南北19間のうち、北側10間が東室、南側の8間が礼堂で、その間にある1間は馬道(めどう)と呼ばれる通路にな…
唐招提寺の礼堂の東側に並んで建つのが宝蔵と経蔵。ともに奈良時代の校倉造りの倉庫で、並んだうちの北側が宝蔵。外観もよく似ているので、ほとんど区別がつきませんがいずれも国宝。その名の通り、宝物庫ですが、昭和45年に鉄筋コンク…
唐招提寺舎利殿(鼓楼)の東に建つ2つの校倉は北側が宝蔵、南側が経蔵でともに天平時代に建てられたものが現存し、国宝に指定されています。とくに経蔵は、唐招提寺創建以前、新田部親王(にいたべしんのう)の邸宅だった頃の遺構(米倉…