坂戸城跡

坂戸城跡

三国街道と清水街道の分岐点で、往時には「上田船道」と呼ばれる水運の終点だったという交通の要衝が南魚沼市の六日町。古くは上田庄と呼ばれ、軍事、交通上の重要な拠点だったのです。町の東に聳える坂戸山(633.7m)には、坂戸城が築かれ、越後と江戸を結ぶ要衝を守備し、米沢藩初代藩主となる上杉景勝はこの坂戸城で育っているのです。

「上杉景勝・直江兼続生誕の地」碑も立つ

坂戸城
往時の石垣が現存
坂戸城
埋め田と呼ばれる堀跡

坂戸山山頂に築かれたのが本丸という中世の山城で、文和年間(1352年〜1355年)に上田長尾氏が築城したと伝えられています。
越後府中(現在の上越市直江津地区)と関東平野を結ぶ要衝に位置し、魚野川を利用した「上田船道」は、魚沼の穀倉地帯からの出荷にも使われていました(六日町の川湊である河戸は、現在の国道291号六日町大橋西詰あたりにありました)。

叔父・上杉謙信の養子となり、謙信の後継者として上杉家の当主となった上杉景勝(長尾景勝)は、坂戸城下に上田長尾家当主・長尾政景の次として誕生しています。
景勝が上杉謙信の養子となって春日山城に移ると、坂戸城は春日山城の支城として機能しています。

山麓の杉木立の中には、城主館、家臣団の屋敷跡が残り、国の史跡に指定されています。
城主館跡の少し先に、「上杉景勝・直江兼続生誕の地」碑が立っていますが、平成21年のNHK大河ドラマ『天地人』の主人公で、上杉景勝に仕えた上杉家の家老・直江兼続は、この坂戸城で生誕しています(越後湯沢で生まれたとする説もあります)。

慶長3年(1598年)、豊臣家五大老となった上杉景勝は、秀吉の命で会津へ加増転封となり、坂戸城には堀 直寄(ほりなおより)が入城。
堀 直寄は坂戸城を山麓の居館部を中心に近世城郭へと改修していますが、慶長15年(1610年)、信州・飯山城へ転封となり、坂戸城は廃城となっています。

麓から薬師堂尾根に付けられた登山道で富士権現の鎮座する山頂に立つと、六日町盆地を一望にできます。
山麓から本丸のあった山頂へは徒歩1時間30分ほど。
山頂の富士権現には直江兼続の勧請によるとの伝承があります。
本丸から北に延びる尾根上に、二の丸、三の丸など主要郭跡が残されています。

坂戸城跡
名称 坂戸城跡/さかどじょうせき
Sakado Castle Ruins
所在地 新潟県南魚沼市坂戸
関連HP 南魚沼市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR六日町駅から徒歩20分
ドライブで 関越自動車道六日町ICから約3.6kmで鳥坂神社横
駐車場 鳥坂神社横(20台/無料)
問い合わせ 南魚沼市教育委員会 TEL:025-777-4671
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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