樺沢城

樺沢城

新潟県南魚沼市樺野沢、JR上越線大沢駅の近くに残る坂戸城の支城が樺沢城(かばのさわじょう)。ここには上杉景勝(うえすぎかげかつ)の胞衣(えな=胎児を包んでいる胎盤・臍帯など)を納めたとされる胞衣塚があり、上杉景勝は一般的に知られる坂戸城ではなく、樺沢城で生まれたという説も有力とか。

麓には上杉景勝の直臣・上田衆の屋敷群があった

樺沢城
本丸跡からの眺望、正面に巻機山など越後山脈を眺望

樺沢城は、坂戸城とは8km離れた位置にあり、坂戸城と同様に樺沢城の麓にも、上田長尾氏の家臣団(通称・上田衆)の城下町が配されていました。

越後府中へ通じる栃窪峠、大沢峠が背後にあり、関東へと通じる三国街道、清水街道の分岐点を抑える場所に位置しています。
上杉謙信没後の上杉家の家督争いの騒乱「御館の乱」(おたてのらん)では北条軍侵攻の最前基地で上田口攻防の拠点となった古戦場です。

つまり、上杉家の本拠地・春日山、そして関東までの最短距離という交通の要衝に建ち、かつ肥沃な土地ということで、平時にはこの樺沢城に、上杉景勝の母(のちの仙桃院)や家臣団が住んでいたと推測されるのです(坂戸城は、戦時に詰める城)。

城郭は、標高304mの地点に本丸、二の丸、三の丸、西の丸からなり、8合目に上杉景勝の「胞衣塚」(安産の宮)があります。
本丸は帯曲輪(おびくるわ)が二重に取り囲み、中腹以下には二重三重に空壕と土塁が鉢巻き状に取り巻く堅固な囲繞堀(いじょうぼり)が配されていました。

中世繁栄したという城下町や城の面影は、わずかに樺沢城址の遺構に見られるだけですが、各所に立つ立派な石碑から、町の人々の郷土愛がひしひしと感じられます。
龍澤寺を起点(駐車場も龍潭寺近くにあります)に樺沢城跡を往復して所要1時間30分ほど。

樺沢城
名称 樺沢城/かばのさわじょう
所在地 新潟県南魚沼市樺野沢
関連HP 樺沢城跡保存会公式ホームページ
電車・バスで JR上越国際スキー場前駅から徒歩5分で駐車場
ドライブで 関越自動車道塩沢石打ICから約6km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 南魚沼市観光協会 TEL:025-783-3377
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
坂戸城跡

坂戸城跡

三国街道と清水街道の分岐点で、往時には「上田船道」と呼ばれる水運の終点だったという交通の要衝が南魚沼市の六日町。古くは上田庄と呼ばれ、軍事、交通上の重要な拠点だったのです。町の東に聳える坂戸山(633.7m)には、坂戸城が築かれ、越後と江戸

龍澤寺

龍澤寺

新潟県南魚沼市樺野沢、上杉景勝の居城・樺沢城(かばのさわじょう)の麓近くに建つ臨済宗円覚寺派の寺、龍澤寺(りゅうたくじ)。山号は福聚山(ふくじゅざん)、建立は室町時代の応永27年(1420年)で(令和2年が創建600年)、上杉謙信が龍澤庵(

 

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