聖天院
正式名を高麗山聖天院勝楽寺といい真言宗智山派(創建時は法相宗)の寺。668年に唐・新羅連合軍により滅亡した高句麗(コグリョ=古代に朝鮮半島北部にあった国)から日本に亡命した王族たちはその後現在の日高市に定住しましたが、そ…
正式名を高麗山聖天院勝楽寺といい真言宗智山派(創建時は法相宗)の寺。668年に唐・新羅連合軍により滅亡した高句麗(コグリョ=古代に朝鮮半島北部にあった国)から日本に亡命した王族たちはその後現在の日高市に定住しましたが、そ…
高麗家は高麗神社の神職を代々務めてきた旧家。高麗王(こまのこにきし)という氏姓をヤマト王権から賜った高句麗(コグリョ)からの帰化人・高麗若光(こまのじゃっこう)を祖にする一族で、神職を勤める高麗神社の境内に建つのが慶長年…
現在の日高市は、古代、帰化人が先進の文明を伝えた土地。日高市が高麗の里(こまのさと)とも呼ばれているのは、716(麗亀2)年5月16日に高麗郡(こまのこおり)を置いたことに由来しています。その歴史を今に伝える神社が巾着田…
埼玉古墳群(さきたまこふんぐん/さきたま古墳公園)の鉄砲山古墳(前方後円墳)の東隣りにある円墳が浅間塚古墳(前玉神社)。後世に築かれた塚という説もあって史跡公園となる埼玉古墳群には加えられていませんが、近年の調査で幅10…
日光街道・奥州街道の草加宿(そうかしゅく)は千住宿、越ヶ谷宿の間の間の宿(あいのしゅく)として1630(寛永7)年に設けられた宿場。草加松原は、かつての街道沿いに残る松並木で、綾瀬川に沿って栄町3丁目の旧道南側詰から神明…
埼玉県の県名発祥の地、行田市埼玉(さきたま)にある埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)のビジターセンターが埼玉県立さきたま史跡の博物館。5世紀末〜7世紀初め頃までに築造された9基の大きな古墳が埼玉古墳群で、「さきたま風土記の…
行田市の埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)にある全長53mという小型の前方後円墳が愛宕山古墳。埼玉古墳群の中央駐車場の東に隣接しますが、墳頂に上ることはできません。埼玉古墳群の前方後円墳としては最小の古墳ですが、周辺の大型…
長崎自動車道の建設に伴う調査で、久保泉町川久保の丘陵から発見された遺跡が久保泉丸山遺跡。自動車道の用地になった関係で、現在は金立サービスエリアに隣接する金立公園(きんりゅうこうえん)内に移築され、野外歴史館として整備され…
唐津市の西南部にある縄文時代の遺跡で、日本最古の水稲耕作の跡が発見される貴重な遺跡です。周辺には宇木汲田遺跡、桜馬場遺跡などもあり、古くから拓けた地であるため、『魏志倭人伝』で、最初に本土に上陸する末盧国(まつろこく/ま…
日本の稲作は縄文時代晩期に九州北部から広まったというのが定説ですが、唐津市街の南西部から発掘された菜畑遺跡(なばたけいせき)は日本の稲作発祥の地。菜畑遺跡のビジターセンターである末廬館は、遺跡から発掘された炭化した米、稲…
聖武天皇が741(天平13)年に出した国分寺建立の詔で全国に建立された国分僧寺のひとつ、肥前国分寺の跡。金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)が往時の正式名です。2町四方(1辺が約216m)のなかに…
佐賀城に残る鯱の門は、1835(天保6)年から始まる本丸再建に際し、本丸の門として1838(天保9)年に完成したもので続櫓とともに国の重要文化財に指定されています。佐賀城に残る貴重な遺構で、明治7年の佐賀の役の際の弾痕が…
佐賀市にある佐賀城跡は、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城の跡。もとは戦国大名・龍造寺氏の居城だった村中城を、家臣でのちに佐賀藩主となる鍋島直茂、勝茂が拡張したもの。慶長年間に着手、1611(慶長16)年に完成しています。以来…
発掘調査、佐賀城御本丸差図、文献資料・古写真などを基にして正確な位置に木造で復元した佐賀城の本丸御殿の一部が佐賀県立の佐賀城本丸歴史館。木造復元建物としては日本最大級の2500平方メートルを誇っています。御座の間だけは、…
佐賀大和IC一帯の佐賀市大和町は、奈良・平安時代の肥前国の国府として栄えた地。肥前国庁跡歴史公園は、奈良〜平安時代の古代肥前国の政治の中心となった政庁の跡です。大型の礎石建物が発見され、国の史跡に。さらに一帯は歴史公園と…
長崎街道は長崎と小倉を25次の宿場で結んだ街道で全長は57里(約220km)。鍋島藩の城下町だった佐賀市にもこの街道が通っていますが、八戸町から長瀬町にかけては道沿いにある家の壁が一列ではなく、一軒おきに道路にくいこんで…
建築は18世紀前半(江戸中期頃)と推測され、佐賀城下に残る最古の町家建築が、佐賀市歴史民俗館・旧牛島家。もともとは佐賀城下の下今宿町(現・佐賀市朝日町3番4号)にあった町家建築で、1854(嘉永7)年の『佐嘉城下町竃帳』…
佐賀市歴史民俗館は7棟の歴史的建造物の総称。その中心が旧古賀銀行です。明治18年、両替商をしていた古賀善平が設立した銀行で、佐賀県下の炭坑の好況を受け第七二国立銀行を譲り受けて業務を拡大、大正時代には県下最大の銀行となり…