大本山須磨寺

仁和2年(886年)、聞鏡上人(もんきょうしょうにん)が光孝天皇の勅命により上野山福祥寺(寺の正式名)を建立したのが始まりと伝えられる神戸、須磨の古刹が大本山須磨寺。嘉応元年(1169年)、源頼政が寺領を寄進し、聖観世音菩薩・薬師如来を本尊として建立。「須磨のお大師さん」として親しまれる真言宗須磨寺派の大本山です。

源平合戦ゆかりの場所で歴史を偲ぶ古刹

源平の庭

「源平の庭」、熊谷直実と平敦盛一騎打ちの図

現存する本堂は慶長7年(1602年)、豊臣秀頼の再建で、建築奉行は関ヶ原合戦後、豊臣と徳川両家の調整に奔走した片桐且元(かたぎりかつもと)。
内陣の宮殿は南北朝時代の応安元年(南朝=正平23年/1368年)の建造で、国の重要文化財。
仁王門は、平清盛から信任された源頼政(平氏政権下で活躍した源氏の長老)の再建で、仁王力士は運慶・湛慶の作と伝えられています。

源平合戦・一の谷の戦いの史跡ともなっており、境内には寿栄3年(1184年)、熊谷直実(くまがいなおざね)との騎乗の一騎打ちで弱冠17歳(『源平盛衰記』では16歳)で命を落とした平敦盛(たいらのあつもり)の首塚や首洗いの池、敦盛像(宝物館)、義経腰掛松などがあります(平敦盛の胴体は須磨浦公園にある敦盛塚に安置と伝えられています)。

「源平の庭」は、一の谷の戦いの際、平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭。
「宝物館」には笛の名手・平敦盛が愛用した「青葉の笛」が展示されています。

本堂の西にある出世稲荷は、平清盛が福原京(平安時代末期、清盛が神戸に築いた都)の守護神として湊川のほとりに祀った社といい、明治中期、湊川の改修で須磨寺境内に遷座したもの。

須磨寺

一の谷古戦場は、芭蕉の『笈の小文』のゴールになっている

須磨寺

平敦盛の胴塚

敦盛胴塚

墓前には花が絶えることがありません

源義経が「鵯越」(ひよどりごえ)の奇策(「逆落とし」)で平家の西の砦「一の谷」を急襲した一の谷の合戦。
その一の谷がどこにあったかは実は諸説あり定かでありません。

須磨寺には、松尾芭蕉が源平古戦場を訪ねて、平敦盛を偲んで詠んだ句、「須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下闇」の句碑が立っています(昭和43年6月、佐野千遊が建立)。
『笈の小文』で、芭蕉は貞享4年(1687年)10月25日に江戸・深川を旅立ち、伊良湖岬、鳴海(なるみ=現在の名古屋市緑区鳴海町)、熱田神宮、伊賀上野から吉野山、和歌浦、奈良、さらには大坂に出て、さらに船で兵庫津(現在の神戸港)へと旅し、須磨浦、明石へと足を伸ばしています。

それも須磨浦が、『平家物語』などで有名な源平合戦の古戦場だったから。
木曽義仲(源義仲)のファンで、源平合戦に造詣が深い芭蕉が、須磨浦を見逃すはずがありません。
享保5年(1688年)4月20日、芭蕉は須磨浦で敦盛塚に参詣したのです。

『摂津名所図会』に描かれた須磨寺

『摂津名所図会』須磨寺

『摂津名所図会』須磨寺

芭蕉訪問の当時は境内に塔頭(たっちゅう)十三坊を誇っていたとか。
『摂津名所図会』にも参道に並ぶ塔頭が描かれています。
 

大本山須磨寺 DATA

名称 大本山須磨寺/だいほんざんすまでら
所在地 兵庫県神戸市須磨区須磨寺町3
関連HP 大本山須磨寺公式ホームページ
電車・バスで 山陽電鉄須磨寺駅から徒歩5分。JR須磨駅から徒歩10分
ドライブで 阪神高速道路神戸線月見山出口から約1.2km。または、須磨出口から約1.7km
駐車場 30台/無料
問い合わせ TEL:078-731-0416/FAX:078-731-6859
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

須磨浦公園・敦盛塚

2018.01.30
 

 

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プレスマンユニオン編集部

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