メリケン波止場

メリケン波止場

日米修好通商条約で慶応3年12月7日(1868年1月1日)に開港した神戸港(兵庫港)ですが、慶応4年4月2日(1868年5月23日)に兵庫港第3波止場として開設されたのがメリケン波止場。初代のアメリカ領事館(現・神戸郵船ビル)が目の前にあったことから「アメリカン」の英語の発音からメリケン波止場と呼ばれるように。

慶応3年4月13日、鯉川河口近くに全長18.2mの桟橋が誕生

メリケン波止場
今も交差点名にその名を残しています

慶応3年4月13日(1867年5月16日)にイギリス・アメリカ・フランスとの間に「兵庫港並大坂に於て外国人居留地を定むる取極」(兵庫大阪規定書)が締結され、外国人の居留地が設置され、領事館なども建設されます。

慶応4年(1868年)4月2日、鯉川河口近くに築かれた長さ18.2m、幅10.9mのメリケン波止場は、居留地への物資搬入の拠点ともなった桟橋です。

アメリカ領事館が海岸通に開設されるのは同年7月のこと。
「大阪兵庫外国人居留地約定書」により外国人居留地が誕生するのは7月24日です(第1回永代借地権の競売が開始され、イギリス12区画、アメリカ10区画、オランダ7区画、フランス4区画、ドイツ3区画が進出)。
慶応4年9月8日には元号を慶応から明治に改元しています。

つまりは、メリケン波止場、アメリカ領事館、外国人居留地という設置順ということに。

第二次世界大戦のさなかには「メリケン」(米利堅)が敵国語ということで萬國波止場(万国波止場)と言い換えられています。

昭和62年に埋立工事が行なわれ、メリケン波止場の大部分は消失し、メリケンパークとしてその名を残しています。
阪神・淡路大震災では本来、メリケン波止場だった場所が崩落し、その一部が神戸港震災メモリアルパークとして保存されています。

メリケン波止場は、「商業貿易港として発展し続ける神戸港の歩みを物語る近代化産業遺産群」のうち、神戸港の港湾施設群として近代化産業遺産に認定されています。

ちなみに淡谷のり子の歌う『別れのブルース』(昭和12年/作詞:藤浦洸、作曲:服部良一)にも「メリケン波止場の灯が見える」とメリケン波止場が登場しますが、こちらは、横浜・本牧を舞台にしたブルース。
横浜港の大さん橋も「メリケン波止場」と呼ばれていました。

神戸外国人居留地
神戸港の居留地は、初代兵庫県知事伊藤博文のもと、イギリス人土木技師ジョン・ウィリアム・ハートの設計によって、浜辺の500m四方の一角が碁盤目状に区画整備されています。
北は西国街道(現・元町商店街の通り)、東は旧生田川(神戸市役所横、現・兵庫県道30号フラワーロード)、西は鯉川(現・鯉川筋、大丸前交差点から南はメリケンロード)、南は海に囲まれた周囲と隔絶されていた地区で、治外法権が認められていました。
メリケン波止場があったのは鯉川河口なので、神戸外国人居留地の西端ということに。
メリケン波止場
名称 メリケン波止場/めりけんはとば
Meriken Wharf
所在地 兵庫県神戸市中央区波止場町
関連HP 神戸公式ホームページ
電車・バスで JR元町駅・阪神本線阪神元町駅から徒歩15分
ドライブで 阪神高速道路神戸線京橋ランプから約1.6kmで市営メリケンパーク駐車場
駐車場 メリケンパーク駐車場(630台/有料)
問い合わせ 神戸国際観光コンベンション協会 TEL:078-303-1188/FAX:078-302-2946
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

神戸港震災メモリアルパーク

2017年11月28日

 

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