昌平橋
神田川に架かる橋。江戸時代には上流の水道橋まで橋はなく、駿河台と本郷台は深い峡谷だったため、この橋は神田川を渡る重要な橋になっていました。現在の橋は大正時代架橋のコンクリートアーチ橋。照明なども往時のままに復元され、千代…
神田川に架かる橋。江戸時代には上流の水道橋まで橋はなく、駿河台と本郷台は深い峡谷だったため、この橋は神田川を渡る重要な橋になっていました。現在の橋は大正時代架橋のコンクリートアーチ橋。照明なども往時のままに復元され、千代…
1774(安永3)年10月17日に隅田川に架けられた歴史ある橋。隅田川の俗称である大川の名を取って大川橋と称していましたが、江戸の東にあるために町民たちから「東橋」と呼ばれ、吾嬬神社への参詣道でもあることから吾妻橋になり…
吉原通いの遊び人が使う代表的な渡しだったのが隅田川にあった「駒形の渡し」。黄昏(たそがれ)時に、舟を降りた粋人が、土産の紅などを購入して吉原へ向かいました。そんな「駒形の渡し」ですが、関東大震災後の復興計画で、昭和2年6…
箱根七湯に数えられる塔之沢温泉の入口にかかる国道1号の橋が千歳橋。完成したのは、箱根湯本の旭橋より3年早い昭和5年。外国人観光客を意識して建造された、旭橋、函嶺洞門、千歳橋と続く橋梁・洞門のひとつ。千歳橋の親柱は主アーチ…
箱根湯本から大平台、宮ノ下に向かう国道1号。もともとは、宮ノ下の富士屋ホテルが外国人向けに人力車が通れる有料道路を建設したことに始まります。戦前は、バカンスに訪れる外国人も多く、意匠を凝らした旭橋、函南洞門、千歳橋が昭和…
明治20年、塔ノ沢〜宮ノ下間に、富士屋ホテルが私費で建設した有料の人力車道の開通が前身という箱根越えの国道1号。塔ノ沢から険しい箱根山中の上りにかかりますが、函嶺洞門、旭橋、千歳橋という3つの土木学会選奨土木遺産、国の重…
瑞隆寺(高岡市)は加賀藩2代藩主前田利長の菩提を弔うため、弟の3代藩主利常が建立した曹洞宗の古刹。正保年間から20年の歳月を費やし造営され、当時は広大な敷地の周囲に堀をめぐらせ城郭のようであったと伝えられています。
今日からは久しぶりに行った鳥取レポートです。 鳥取には素晴らしい温泉が沢山あり、中国地方では最も高く百名山のひとつでもある「大山(だいせん)」がある場所です。 今回は大山寺や大神山神社までトレッキングもありますよーてこと…
登呂遺跡の一角にある、遺跡博物館。平成28年8月17日に国の重要文化財となった登呂遺跡の出土遺物775点など、出土史料を中心に縄文時代から弥生時代、近代に至るまでの農業や生活の様子を伝える資料を展示しています。1階の「弥…
静岡市街の南に位置する弥生時代の集落・水田遺跡。昭和18年、登呂地区の水田に軍需工場(プロペラ工場)が建設されたが工事の途中に丸木舟など多くの木製品が出土。国の特別史跡に指定されている他、平成28年8月17日に登呂遺跡出…
明治21年に千葉県で最初の海水浴場が稲毛海岸に開設されると、稲毛は湘南の大磯と並んで、保養地、療養の地として注目されるようになります。そして大正7年、神谷シャトー(現・シャトーカミヤ)を開業した実業家・神谷伝兵衛(神谷傳…
亥鼻(いのはな)は猪の鼻のように突き出した地形という意味。都川河口に突き出した台地の上に千葉氏の居館だった亥鼻城(千葉城)があり、千葉発祥の地となっています。源頼朝の重鎮だった千葉常胤(ちばつねたね=一の谷合戦、奥州藤原…
石狩市にある石狩市で現存する最古の木骨石造建築物(外観は石造りですが、内部に木の骨組みがあります)。店舗は明治27年築、石蔵は明治10年頃の築と推測されています。長野商店は、越後(現・新潟県北蒲原郡聖籠町)出身の長野徳太…
石狩湾に沿って小樽市銭函(ぜにばこ)から石狩市厚田区聚富(しゅっぷ)の知津狩(しらつかり)あたりまで続く石狩砂丘。温暖な縄文時代には石狩湾はさらに内陸まで入り込み(縄文海進)、紅葉山砂丘という砂丘の痕跡が残されており、縄…
地震で被害のあった、鳥取県中部を中心としたプレスツアーが、11月16日(水)〜18日(金)に行われました。 主催は鳥取県東京本部、アテンドは一般社団法人プレスマンユニオン。 その後バタバタしてしまい、一ヶ月近くたってしま…
「お城山」と呼ばれる標高263mの久松山(きゅうしょうざん)にある7.37haの公園。16世紀半ばに築城されたという鳥取城の米蔵跡、二の丸、天球丸跡を公園として整備したもので、園内には石垣も残っています。二の丸を中心に2…
湯梨浜町にある古社で伯耆国(ほうきのくに)一之宮。機織(はたおり)に携わった倭文氏(しずりうじ)が祖神の建葉槌命(たけはづちのみこと=倭文神)を祀ったのが起源。下照姫命(したてるひめのみこと)など出雲の神々をも祀っていま…
因幡の国人領主・志加奴氏(鹿野氏)の居城が鳥取市鹿野町にある鹿野城。1544(天文13)年、因幡に侵入した尼子晴久の攻撃で、落城。1580(天正8)年、羽柴秀吉の鳥取城攻撃の際に織田方になり、亀井茲矩(かめいこれのり)が…