郡山遺跡

仙台市太白区にある奈良時代に築かれた古代の古代城柵、その後に築かれた多賀城(宮城県多賀城市)に先立つ陸奥国(むつのくに)国府の遺構。「仙台郡山官衙遺跡群 郡山官衙遺跡 郡山廃寺跡」として国の史跡になっています。官衙(かんが)とは古代の役所のことで、遺跡からは政庁と思われる大規模な掘立柱建物が発掘されています。

古代の東北経営の拠点となった役所跡

大和朝廷が確立した7世紀に常陸国(ひたちのくに=現在の茨城県周辺)から分離される形で成立し、以後、平安時代まで陸奥(みちのく)と呼ばれた陸奥国。

陸奥国府には鎮守府が置かれ、鎮守将軍(後に鎮守府将軍)が東北地方を統治していました。
奈良時代の724(神亀元)年、多賀城(現・宮城県多賀城市)に国府が移される以前に陸奥国の国府があったのが郡山遺跡一帯。
大化改新の後、日本海側の越国(こしのくに=現在の福井県から新潟県に至る広大な国)に渟足柵(ぬたりのき、ぬたりのさく/所在地不明・新潟県新潟市東区と推定)、磐舟柵(いわふねのき、いわふねさく=現・新潟県村上市岩船、遺構は未発見)が造営されており、同時期に建築された古代の東北経営の拠点として、貴重な遺構になっています。

名取川と広瀬川に挟まれた自然堤防上に築かれた18ha(仙台市太白区郡山2丁目~6丁目)という広大な広さの遺跡で、大正2年に漆を入れた土器が発見され、古代の遺跡であることが判明しました。

本格的な調査が始まったのは昭和54年からで、大規模な建物や材木塀の跡が発掘され、蝦夷(えみし=古代の東北の住民)政策と、律令制による支配を行なうための官衙(役所)の遺跡であると推測されています。

7世紀中頃から末頃に造られた最初の官衙(Ⅰ期官衙)は、南北600m以上、東西300m以上で、官衙院や倉庫群などが配置されていました。
2期目の官衙(Ⅱ期官衙)は、Ⅰ期官衙を取り壊し、建物の基準を真北に変えて新たに造営され、寺院が付属して建てられていたことが判明し(講堂・金堂・塔・僧坊などの存在が推定)、郡山廃寺跡と呼ばれています。

藤原京に遷都した694(持統8)年頃、藤原京(現・奈良県橿原市)をモデルに造営したものと推定されています。

ちなみに聖武天皇の詔(みことのり)で建築された、陸奥国分寺、陸奥国分尼寺は、ともに現在の宮城県仙台市若林区にありました。

郡山遺跡
名称 郡山遺跡/こおりやまいせき
所在地 宮城県仙台市太白区郡山2~6丁目
関連HP 仙台市公式ホームページ
電車・バスで JR・仙台市地下鉄長町駅から徒歩15分
ドライブで 仙台南部道路長町ICから約1.7km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 仙台市観光課 TEL:022-214-8259
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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