陸奥国分寺薬師堂

奈良時代に聖武天皇の詔で創建された陸奥国分寺(むつこくぶんじ)の金堂跡に1607(慶長11)年、仙台藩主の伊達政宗(だてまさむね)が再興したのが薬師堂。藩政時代には薬師堂を中心に三院二十四坊を擁する大寺院が建っていました。薬師堂は桃山時代の建築様式を今に伝える貴重な堂で、国の重要文化財に指定されています。

古代の国分寺講堂跡に伊達政宗が薬師堂を建立

古代寺院(陸奥国分寺)の南大門跡に建つ仁王門
江戸時代初期建築と推定される鐘楼

薬師堂周辺には1607(慶長11)年建立と推測される仁王門、江戸時代初期築の鐘楼、伊達宗村が1745(延享2)年に再建した準胝観音堂(仙台三十三観音の第25番札所)、白山神社(薬師堂の鎮守社)などが建っていますが、一帯は陸奥国分寺跡(古代寺院の跡)として国の史跡に。

薬師堂が建つ場所は奈良時代の陸奥国分寺の講堂に位置し、薬師堂前の広場が金堂や鐘楼のあった場所。
藩政時代には一帯は寺町を形成し、学頭・別当・院主の三院二十四坊が建っていました。
この地が歌枕「木の下」の地であることから芭蕉も『奥の細道』途中に陸奥国分寺跡・薬師堂に立ち寄っています。

明治の廃仏毀釈の荒波と仙台藩の庇護がなくなったことで廃寺となり、今では陸奥国分寺が残されるのみとなっています。

現在、後継寺院である陸奥国分寺(護国山医王院国分寺)は、祈祷を行なう「薬師堂」と、檀家の法事を営む「本坊」とに分かれています。

陸奥国分寺薬師堂
名称 陸奥国分寺薬師堂/むつこくぶんじやくしどう
所在地 宮城県仙台市若林区木ノ下2-8-28
関連HP 陸奥国分寺公式ホームページ
電車・バスで JR宮城野原駅から徒歩20分
ドライブで 仙台東部道路仙台東ICから約5.4km。仙台南部道路長町ICから約5.6km。または、東北自動車道仙台宮城ICから約10km
駐車場 30台/無料
問い合わせ 陸奥国分寺薬師堂 TEL:022-291-2840
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

陸奥国分寺本坊

2017年4月25日

陸奥国分寺跡

2017年4月25日

 

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