【秋の絶景】英彦山・鷹巣原高原のススキヶ原
福岡県田川郡添田町、英彦山の北東麓、国道500号沿いにあるのが、鷹巣原高原(たかすばるこうげん)。毎年、晩秋になると6ha及ぶ一帯が、別名「ススキヶ原」と呼ばれ、黄金に輝く絶景に。春から夏にかけては美しい緑色のススキの葉…
福岡県田川郡添田町、英彦山の北東麓、国道500号沿いにあるのが、鷹巣原高原(たかすばるこうげん)。毎年、晩秋になると6ha及ぶ一帯が、別名「ススキヶ原」と呼ばれ、黄金に輝く絶景に。春から夏にかけては美しい緑色のススキの葉…
福岡県の高峰は、県東部、大分県との県境部に連なっています。最高峰は八女市にある矢部川県立自然公園の釈迦岳で標高1229.3mです。2位は御前岳(1209m)でいずれも大分県(日田市)との境。3位は修験道の霊山として名高い…
「北九州」というと、地元では福岡県北九州市のことを指すケースがほとんど。ところがそれ以外では、北部九州を指すケースもあって、これが元で大きな勘違いや誤解が生まれかねません。気象庁も北九州だけでなく、少し範囲を広げたエリア…
世界文化遺産に登録される古墳というと大阪府の大王墓などで構成される「百舌鳥・古市古墳群」を思い浮かべますが、九州、福岡県福津市にも世界文化遺産に登録される古墳群があります。それが世界文化遺産「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関…
福岡県北九州市若松区響町1丁目にある軍艦防波堤。正式名は「響灘沈艦護岸」で、太平洋戦争の敗戦で連合軍によって武装解除された帝国海軍は、数ある駆逐艦などが無用の長物に。軍船を港湾部に沈め、周囲をコンクリートで固めたのが軍艦…
文化庁は、2025年2月、太宰府天満宮(福岡県太宰府市)などの文化財で構成する日本遺産「古代日本の『西の都』」の認定を取り消しました。文化庁は「日本遺産の認定の取消しは、取組実績や計画の内容が不十分であることによるもの」…
西武・プリンスホテルズワールドワイド(本社・東京都豊島区)は、2026年3月17日(火)、福岡県福岡市早良区百道浜に開業するホテルの名称を、「福岡プリンスホテル ももち浜」と発表。福岡市のシーサイドエリアに誕生する地上2…
非電化区間が多い時代には、寝台車(寝台特急、寝台急行)といえば、機関車が客車を引くのが一般的でした。ブルートレインに代表される寝台車ですが、昭和42年に世界で初となる電車寝台として誕生したのが581系電車(月光形電車)で…
『邪馬台国九州説』の有力な候補地となっているのが、福岡県朝倉市にある平塚川添遺跡(ひらつかかわぞえいせき)。旧石器時代から始まって多くの遺跡が分布する土地ですが、平塚川添遺跡は、弥生時代中期前半〜古墳時代初頭の大規模な環…
「世界一都心に近い空港」といわれているのが、福岡空港。所在地も福岡県福岡市博多区と、東京なら東京駅のある千代田区に空港がある感じでしょうか。博多まで地下鉄でわずかに2駅、5分。営業キロにしてもわずかに3.3kmしかありま…
毎年5月3日〜5月4日、福岡県福岡市で開催される『博多どんたく』ですが、2025年5月2日(金)〜5月4日(日・祝)にどんたく広場と、市内幹線道路を巡回するのが「にしてつ花自動車」。かつて路面電車を装飾した花電車に代わり…
鉄道ツウでも意外に知らないのが、九州と本州の間にある、関門海峡の海底に通じる「豆トンネル」。関門海峡には関門鉄道トンネル(昭和17年開通)、関門国道トンネル(昭和33年開通)、関門橋(昭和48年)、山陽新幹線の新関門トン…
北九州が一大工業地帯として発展し、日本が近代化を成し遂げたのは、筑豊炭田の石炭産業があったから。筑豊炭田の活況を背景に、貝島炭鉱が大正14年の輸入したドイツ・コッペル社(Orenstein & Koppel)製の…
かつて駅弁はホームに「べんとー、べんとー」の声が響く立ち売りの時代がありました。列車の窓が開かなくなり、停車時間の短縮で、全国から立ち売りが消え、定期列車を対象に、立ち売りが行なわれているのは駅弁「かしわめし」が名物のJ…
後漢滅亡後、魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)が分立した中国・三国時代。魏の使節が倭の女王、卑弥呼を目指した記録が、『魏志倭人伝』です。北九州・福岡県あたりまでは当時の王都も特定されているので、Google Map(グーグ…
JR九州旅客鉄道が2022年11月4日(金)から福岡~釜山航路に就航した高速旅客船「クイーンビートル」(QUEEN BEETLE)。博多港と釜山港を3時間40分で結んでいましたが、亀裂による浸水を把握しながら、3か月以上…
3世紀、中国・三国時代の魏(ぎ)、呉(ご)、蜀(しょく)のうち、魏の使節が倭国を訪ねた記録が『魏志倭人伝』。対馬、壱岐を経て九州・末盧國(佐賀県唐津市)に上陸後、陸路、伊都國(福岡県糸島市)、大国の奴國(春日市)を経て、…
3世紀に三国時代の中国・魏の使節が倭国を訪れた際の記録が『魏志倭人伝』。弥生時代後期に小国が群雄割拠しながら、邪馬台国の配下となっていた時代です。使節は朝鮮半島から対馬、壱岐を経て、末廬國(佐賀県唐津市)へ。さらに陸路で…